2023年11月19日(日)秋の市民公開講座②

講師:原宿カウンセリングセンター 公認心理師・臨床心理士 高橋郁絵先生
テーマ「家族が楽になるってどんなこと?」PART3
〜傷つきからの回復と、よりよい当事者との関わり〜

 今回は、原宿カウンセリングセンターの公認心理士・臨床心理士である高橋郁絵氏をお招きしての研修会です。
テーマは「家族が楽になるってどんなこと?」の3回目、〜傷つきからの回復と、よりよい当事者との関わり〜についての研修となります。
 研修会の始まりには、「リアル人間ビンゴ」をしました。家族会のメンバーに話しかけることにより、気持ちを和らげたりつながりを持ちやすくすることができました。

 近年は若年層の依存症患者が増えており、家族もこれまでにない支援を必要とされています。依存症本人が未成年であることも多く、「手放して本人は仲間の中で回復する」というモデルだけでは対応しきれなくなっています。ASDやADHDなどの発達障害を抱えているなど、仲間とのつながりを持ちにくいことや、子ども時代の逆境体験などがあり、生き延びるために依存物質に頼ってきたなど、それまでの生き方がどんな風だったのかを知る必要があります。また「もっとひどくならないで済んだ要因」に目を向けることも大切であるようです。生きづらさを和らげる要因や生きる喜びにつながる要因を探すことに目を向けていくと、違った世界が見えてきます。

 依存症の対象に目を向け止めることにだけ注目するのではなく、自分の存在がよいものとして周囲に受け止められているのか、実感を作りだすことが大切になります。家族として、よりコミュニケーション力が求められてきます。周囲との関わりの中で回復していくのは依存症本人も家族も同じです。
 ほどほど良い支援とは、どうすることでしょうか。

 まずは、アディクションの最中はそっとしておいて、緊急性のある時だけ関わる。シラフのときに本人のうれしい活動をする。ましな人生にしたい・幸せになりたいという希望を引き出す。どうしたら本人が困るのかを考え実行する。シラフの時に事実を淡々と伝える。ピンチはチャンス。説得・説教・アドバイス・泣き落としは約に立たないと肝に銘じる。などです。

 家族関係をどう見るのか。その理解と家族相互のサポートも重要です。
世代間境界…親の世代と子供の世代などのことを言います。これは健全な家庭だと、夫婦と子供世代の間に境界があり、情報や感情・空間などを夫婦で共有していますが、歪んでいると母と子供が強く結びついていたり、問題を起こす子どもだけが孤立してしまったりということが起こりがちです。両親の対応を一致させることが大事ですが、難しい場合も多いのではないでしょうか。では、どうするのか。自分の気持ちを伝えるときにはIメッセージを活用する。アドバイスの仕方もうまく活用する。やっていることはおかしくても、その背後にある気持ちは肯定する。どうしようもないことはほっておき、できることをする。相手の行動の責任は相手が引き受けられるように現実を見えやすくするなどです。

家族は一種のシステムでパターンがあります。そのパターンを崩す、どこからでもいいので悪循環を断ち切ることで新しい関係が生まれます。違う行動をしてみることがひとつの関係を生む第一歩になるようです。
 家族のケアは、本来は一番力の強い人が行うべきものですが、逆転している場合が多いです。ケアの提供者が女性=母親というステレオタイプから離れてみてはいかがでしょうか。

 依存症の問題は、ひとりや家族だけで抱えていくのは大変です。家族会への参加が行動を変える一歩になりますが、行きたくない気持ちを持つ場合もあります。そんな時には無理強いせず、自分の気持ちと行動に目を向けて気づきがあると変化の動機付けになります。依存症の世界は「非・常識」です。「常識」によって苦しい子育てを経験していませんか。そこから楽になりましょう。家族会に来ている人が楽しそうに見えたら、来る価値があると思ってもよいのではないですか? そんなメッセージが伝わる研修会でした。

10月28日(土)2023秋の市民公開講座①


テーマ:「依存症と家族の回復について」
講師:一般社団法人 福祉コラボちむぐくる とちぎステップ家族相談室の室長、渡邉厚司先生

 今回は、一般社団法人 福祉コラボちむぐくる とちぎステップ 家族相談室の室長、渡邉厚司先生をお招きしての研修会でした。渡邊先生には前職のころから毎年のように来ていただき、家族の回復について研修会をしていただいています。
【家族とはなにか ―回復と成長に活かす家族理解の視点、「今日一日」 I(私)メッセージに始まりI(私)メッセージに終わるー】をテーマにお話しいただきました。

 アディクションの問題はまだまだ道徳的なとらえで語られることが多いのですが、1985年ころより自己治療的仮説という考え方が台頭してきました。心理的な抑圧や不快を何とかコントロールし生き延びるために薬物の使用をしているとのとらえ方です。依存症の回復には「人」と「依存症の症状」を分けて考えていく必要があります。依存症になった原因を内在化するのではなく、外在化し語ることで自分のストーリーが変化していき、見え方が変化していくと、回復の一歩が始まります。足、耳、口を使って仲間に出会っていく過程が回復へとつながります。

 「家族」とは、子を産み育て社会に送りだし、老いた親の世話と見送りをする「場」です。子を育てるには栄養・愛・安全(秩序)刺激(遊び)社会化(処罰の受容と他者に共感する能力)学習と習慣形成が必要です。
 機能は、家族の働きを指し秩序やその秩序に基づいたコミュニケーション、役割のパターンなどです。
 症状行動とは、「家族を成り立たせるために、症状(行動症状)が起きている」という考え方で、自分を守ったり家族を成り立たせるための行動を言います。個人ではなくむしろ家族システムの中にその症状を必要とする「何か」があると考え、その「何か」を発見し違うものに変えることが家族サポートの視点になります。家族間のコミュニケーションを変えていくということに繋がります。「人」や「人の心」は単体では存在しないもので、他社との関係の中でしかとらえようのないものです。存在そのものがコミュニケーションとなります。
子が育っていくには、「わたし」の誕生が必要です。母との未分化な関係から、成長に伴って離れたり近づいたりを繰り返し、2者関係が育っていきます。思春期に親だけではなく友達や憧れの存在を持つことで、社会に入っていきます。見捨てられる感覚や、飲み込まれる感覚を覚え、不安になりながらも親に頼らないようになっていきます。

 家庭内で繰り返されるパターンを見直し、見えない役割やルールを少しずつ変えていけると家族間の空気が変わり悪循環から抜け出せることがあります。1対1の関係は不安定で影響を受けやすいですが、人が増えると三角関係を作ることができます。その関係も役割に固着してしまうと苦しくなるので、意識して見えない役割やルールから解放されるように自分が変わっていくことが大切になります。
 また、自分なりの守り方で対応できない強く強烈なストレス場面で「あの日、あの時」の外傷記憶が顔を出すことがあります。孤立無援だった時のしみついた記憶をきついながらもミーティングで語り、「今はあの時じゃない」と気持ちを落ち着かせることが少しずつできるようになってきます。切迫感が癒えていき記憶の上塗りができるようになります。その意味でも家族会などの安全な仲間の中で語ることはとても重要なことです。

 家族の変化が本人の変化につながることがあります。
本人の変化を支持する介入の機会で踏まえることは、まず本人が自分の問題に気づき見つめられるようにし、どうするかを感じ考えてもらいます。そして変化を促すこと(変えられることを変えていく)を支持します。その場合に大切なことは、本人のことを大切に思っていることを伝えることです。これからも一緒に歩んでいくことを伝えます。伝え方は「Iメッセージ」で具体的に感じたことを土台にして伝えます。本人の話をジャッジしたり直接関与したりしないようにします。本人の率直な気持ちを言葉にできるように勇気づけることも必要です。
依存症は病気であること、回復と成長を信じること、そのために専門機関に繋がってもらうことなどを伝え続けるようにします。

 家族は家族で、これまで負っていた役割から降りて、主人公としての「わたし」の回復と成長をすることや、家族の境界線を健康で健全にはぐくみ風通しのよい関係を築くことが必要です。
家族間の役割を柔軟にしていき、年齢相応の役割に戻すことや夫婦関係の葛藤を減らしていくことなど意識して変化させていくことが重要になります。家族システムは意識化されないと次世代の家族に影響することを理解しておくことも大切です。

 渡邉先生の研修会は、いつも笑いに包まれながらも家族間の変化の仕方を教示してくださいます。
問題に名前を付けて扱いやすくするなど、依存症の問題とともに生きていくヒントがたくさん詰まった研修会でした。
 
悪いのは「アディちゃん」です。(笑)

11月27日(日)横浜ひまわり家族会 2022秋の公開講座②

<依存症と家族の回復について>

講師:原宿カウンセリングセンター 臨床心理士 高橋 郁絵先生と国立精神神経医療センター 近藤 あゆみ先生。
ゲスト:湘南ダルク・ケア・センター 施設長 栗栖 次郎氏
 
 今回の公開講座は、原宿カウンセリングセンターの臨床心理士・高橋 郁絵先生と国立精神神経医療センターの近藤あゆみ先生に起こしいただきました。
 去年の公開講座のテーマ「楽になるってどんなこと?Part2」~家族と当事者を楽にするためにするちょっとしたコツ~のお話をしていただきました。
 10年ほど前までは、依存症の問題が起こったときには「手を離しましょう。本人の問題は本人に。あなたが楽になりましょう。」という考え方で解決に結びつけていこうとするやり方が主流でした。その後いろいろな研究が進んでいく中で「かかわっていこう」という考え方に変わってきています。「知識を持ちましょう。本人とよいコミュニケーションを持ちましょう。相談を続けましょう。」などのかかわり方です。本人を助けることと、私たちの人生を大切にすることの両方をうまく工夫しながら両立しましょうというとらえ方に変化してきています。
 一口に対応を変える、工夫する、などといっても巻き込まれて混乱している家族には、見えなくなっていることも多いのが現実です。
家族はなぜこんなにしんどくなるのか?まず無理をしていること。眠れなくなること、体が悲鳴を上げているのにそのしんどさを手放せないこと、依存症本人の回復の正解がわからないこと、ほかの家族との関係が壊れてしまうこと。そして一番の苦しみは、うまく育ててあげられなかった、解決してあげられなかったという自責の念でしょうか。
話し方のエクササイズも交え、コミュニケーションの変化についても学びがありました。たとえて言うなら童話「北風と太陽」のような対応の違いでしょうか。圧力をかけて脅してもかたくなになるばかりで、逆に依存症者本人が語れるように会話を進めていく方法などロールプレイをしながら学びました。「人が変われない理由は、変わらなければならない理由についての理解不足で、変わるための具体的な方法を知らないから」と考えて話すのか、または「変化を動機づける有効な方法は、本人に気がかりを自ら話すように促して、その気がかりと共有して確認していくこと」と考えて対応するのか?なかなか変わらないときの心理状態や、変わる用意がない時にいくら説得を試みても無駄になることなど丁寧なお話がありました。
「決めるのは本人。」一見回り道のようで、家族としては不安を感じずにはいられない対応ですが、実は待っている間に本人が自分のこととして考えることで自律性が生まれてきます。「自分の人生のことを自分で決める=自律性の尊重」最終的に決めるのは本人だということを家族である私たちが意識できるかどうかにより変化が起こってくると思います。関わりを通して本人の決断に影響を与えることは可能です。本人の言葉を確かめ、本人の強みや努力を認めて伝えていくことで回復に前向きな言葉が生まれてくるのではないでしょうか。
混乱に巻き込まれた家族が気を付けなければいけないのは、本人との境界線をはるかに超えてしまってさらに混乱していく状況になることです。どこに境界線を引くのかを考えること、またそれを超えて話したいときには同意を得ることなど相手を尊重する姿勢を身に着けていきたいものです。アドバイスをしたいときにも依存症者本人に許可を得ると少しはスムーズにいくかもしれません。本人が混乱して暴力があるときには、「逃げる」ことを最優先することも大切です。
「毎日は小さな選択の連続。ひとつの選択が一歩先を照らしてくれる。小さい選択を繰り返すことで道が作られる。」
恐れず、少しの勇気をもって一歩を踏み出せるようになりたいですね。
高橋先生、近藤先生、湘南ダルクの栗栖さんも加わって、参加者の質問に丁寧に答えてくださり、公開講座は終了となりました。

10月23日(日)2022秋の市民公開講座①

<依存症と家族の回復について>
講師:(一社)福祉コラボちむぐくる とちぎステップ家族相談室 室長 渡邉 厚司 先生
 
 今回は、何度もひまわりの研修会に来てくださっている渡邉厚司先生による『「12のステップ」という生き方の指針・原理に学ぶーアディクションからの回復と成長について考えるー』というテーマの研修会でした。
 まず、アディクション(依存症・嗜癖)の語源ですが、古くはローマ習慣法による借金奴隷にまで溯ります。この言葉が「奴隷になる」から始まって「何かに囚われる」→「○○に嵌って抜けられなくなる」といった些細なことにまで使われるようになっています。
「依存症」(アディクション)が意味していることは、自己治療仮説つまり生き延びるために必要とするアディクションというとらえ方があります。1次的ないたみや傷つきを癒し生き延びるために使っていたものが、2次的な症状を引き起こしてバランスが取れなくなります。「嗜癖行動」が激しいということは「抱えているテーマ」がそれだけ深く重いということになります。
依存症への理解がなかなか進まない背景は「道徳の問題」と位置づけられることが多い、とりわけ日本ではそう理解されることが多くあります。「自己を適切にコントロールすべし」という近代的規範(呪縛)こそが元凶となり、「意志が弱い」ダメな人間として理解されてしまいます。本当は「近代社会の狂った前提(構造)」が生きづらさを生んでいるといいます。
 今回の研修会でチャーリー・チャップリンの映画「モダンタイムス」が引き合いに出されていました。
人が社会の部品とされ、流れにうまく乗れない人は「ブラックシープ」(厄介者・もてあまし者)とされ阻害されていきます。しかし人生で逆転は期待できなくても「ブラックシープ」のまま誇りをもって生きるという選択をします。自分なりの幸福を追求し、人間性を回復していくこと、生きにくさや生きづらさの中に自分の身を置いて生きていこう、自分のホームに帰ろうとエンディングを迎えます。
 「12ステップ」とは、AAという共同体の中で生まれた生き方の指針です。AAは「宗教でも心理学でもなくスピリチュアル」なものとしてとらえられています。近代合理主義が「神」や「スピリチュアルな存在」を非合理的なものとして排除したことがアルコール依存症の原因という思想も生まれました。 
 「共依存」は依存症の世界ではよく使われる言葉です。「自分の存在論的安定のために、自己」の欲求を定義してくれる人を必要とする人」という意味で使われています。近代社会では自分で自身を常にチェックしながら軌道修正ができることが求められる社会になっていきましたが、そこからこぼれてしまう人が「共依存者」として理解されるようになってきました。
 「12ステップ」の考え方も歴史の中で変遷を遂げました。今、どのように理解していくのかがか私たちが生きるヒントになります。
「人生を他者のために生きるというのは大きな満足をもたらすものだが、このように生きるべきだと指図してくる他者のために生きると、どうしても破壊的になってしまう。よかれあしかれ、自分の人生は自分で選ぶべきだ。」
「ミーティングで行われること。それは『お互いの弱さを開示して知らせる場で、分かち合われる正直さによって苦境を切り抜けていくこと』である。」
【AAに学ぶ~その思想(人生の考え方)・哲学(人生の生き方)~より抜粋)】
 改めて「12ステップ」を心に刻んで新しい生き方に挑戦していこうと思いました。

2021年 秋の市民公開講座10月24日(日)

講演:筑波大学大学院 人間総合科学研究科 准教授 森田展彰先生 

 今回の秋の市民公開講座は、筑波大学の森田展彰先生のお話でした。「親のアディクションが子どもに与える影響とその支援」をテーマにお話をしていただきました。
 保護者が薬物事犯で収監された場合、子どもは養育者がいなければ児童養護施設に入所する場合があります。大体は、子どもは親の状態を知らないままであり、出所と同時にまた一緒に暮らし始めます。しかし、子どもたちへの支援はなく、子どもの治療は同時にできていないことがほとんどです。親のアディクションは子供への影響が大きく、子どもたちは傷ついています。児童思春期に、アディクションがかかわる状態では、子どもにアディクションが生じる場合と、家族のアディクションが影響している場合があります。子供のアディクション問題も、家族における葛藤や暴力あるいは家族の依存症や精神障害が関係することが多いと言えるそうです。児童の思春期にこうした背景がある場合、見逃さずに対応することが世代間連鎖を防ぐことにつながると考えられます。アディクションと養育の問題は相互に影響を及ぼしています。
 親のアディクションが養育に影響を与える場合、子ども時代の逆境的体験が累積的に成人になってからの健康問題を悪化させたり、死亡率をあげたりする原因になるそうです。

 依存症を持つ親の養育が生じる児童の問題として、依存症になる・気分障害・人格障害・摂食障害など、精神障害や健康上の問題、学校不適応、犯罪、自殺、自尊心の低下など広範囲の問題が多いことが示されています。安心できる環境がないため安心を求めようと薬物にはまり、自己肯定感が低くなっていくなど、悪循環にはまっていきます。親の抱える問題を子どもの口から発するのは非常にハードルが高く、言える場もないことから追い詰められてしまうのです。子供が親の依存症の症状に振り回されたり、生活上の困難を感じたりすることが増えていきます。ヤングケアラーとして、親の世話に過度の責任を感じることもあります。自分のことより親のことで手いっぱいで大人になってから生きにくさを感じて行きます。虐待のリスクも高くなります。
 依存症のある親の元で育った人の調査によると、相談できる人がいなかったと答えた人が67.4%と最も高いそうです。75%の人がうつ病や躁うつ病にかかってしまうなど、受けた影響の大きさが想像に難くないと思います。ほとんどの人が依存症の説明をされておらず、わけがわからないまま問題に巻き込まれ、不安な生活を強いられてきたと言えます。子ども時代にきちんと説明を受けていたら「自分や親を責めなくてもよかった」「わけがわからない状況にさらされる恐怖や無力感を減らせた」「家庭で起きていたことを知り、相談や対処ができた」と考える人が多くあったそうです。
 支援者にはぜひ、このような当事者の気持ちに寄り添い、支援にあたっていっていただきたいと願うばかりです。
 またそのような環境で生活してきた人たちが大人になってから、心の病を持つ人と持たない人がありますが、その違いを比較した結果、かからなかった人たちは、親の精神疾患に対する心理的負担感が少なかったこと、首尾一貫感覚(人生を見渡せる感覚)が高く自分が生きている状況が理解でき人生に意味を感じていたこと、幼少期の逆境的体験が少なかったこと、親から自律性や主観性を尊重されていると感じていたこと、精神疾患を持つ親が治療していたことを知っていたなどの理由が挙げられるようです。
 調査からいえる大切なことは、以下の通りです。

子どもに依存症や治療のことを伝え、その話題に関してコミュニケーションができるようにする。
子どもの自主性を助ける関わりが重要。
子ども自身が自分の人生をやっていけると思えることを助ける。
子どもが親の依存症の影響を減らす。そのためにも親が治療を受けて、子どもだけがなにかと対応しているのではなく、外の人にも手伝ってもらえるようにすること。

依存症など精神疾患を抱える親と暮らす子どもへの支援は、子ども自身が自分でハードルを一つずつ超えるために援助できるようにシステム作りが必要です。親子だけでなく兄弟の問題もあるので、視野を広くして取り組んでいけるといいと思いました。
最後にプルスアルハなどの依存症に関する絵本の紹介がありました。

2021年9月25日(土)「2021秋の市民公開講座<9月講座>」

今回の「秋の市民公開講座」9月講座は、マロニエ医療福祉専門学校医療学部 学科長であられる渡邊厚司先生をお招きしての開催となりました。テーマは「回復と成長につなぐコミュニケーション~その点検道具のガイド~」です。
先生は、刑務所のメンタルヘルスプログラムにも携わっており、受刑者の7~8割は何等からアディクションの傾向があるといいます。先生ご自身はアディクションの本人や、家族と出会ったことでご自身が救われていると感じるそうです。
 人との関係の中で困りごとがあっても、解決するための道具を人はなかなか見出せません。依存症も問題に巻き込まれて、どうにもならなくなった本人との関係をどう整理するのか。交通整理をするためのコミュニケーションの道具を紹介してくださいました。
 「アディクション」とは、近代社会のなかで生まれた病気です。人間が商品化されてきた社会の中で、薬物に手を出した人は、商品としての価値が下がってしまいます。いわゆる「傷物」として生きていくのには近代社会はあまりにも過酷となります。高い商品価値が無くなったとき、「酔い」を求めて薬物を使用し、酔うことで自分を守るしかなくなるのが近代社会です。周囲にとらわれ自分の息を殺して、感情を感じないようにする、そのために酔いが必要になってくるのです。「私としての生き方でいいんじゃない?」そう思えてこそ、「酔い」ではない生き方・自分を守る違う方法を見つけられるといいます。
 本人との関わりの中で、本人を変えようとしてしまうこと。本人を変えることがすべてになり、家族も自分自身を見失い、相手がすべてになっていきます。それは家族として依存症の問題に関わったことがあるならだれもが通った道です。人間関係は変えられないのに、正解があると思い込み呪いにかかっていきます。その思い込みはしみついてとらわれてしまいます。本人も自分を変えようとする人にしか出会ってこなかったという人が多いようです。問題を整理して取り組めることに目を向けていくことがスタートです。
子どもが成長していく中で、おむつが取れた時が「自分」になる第一歩だそうです。おむつをつけていると替えてくれる誰かが必要です。そしてこの時期には他者に通じる言葉を持ち始めます。
イネイブリングは、大人におむつをつけ、世話をしている状態だと言います。
本人との関わりで、うまくいかないパターンを知ることも大切です。悪循環を引き起こすパターンを知れば回避することができるようになります。
 何かを伝えたいときに「アイメッセージ」で伝えるようにすると、対立しないで伝わるようになります。肯定的に伝え、「安全・安心」や「気づきと受容」「自信と自尊心」の流れを意識することが重要になります。伝えるのは「願い」として、しかし「願い」をかなうかかなわないかは自分の問題ではありません。誰にとっても悩みと戦うことは苦しいことです。一歩距離を置いて味わう感覚でいられると少し楽になります。苦しい感情は家族会で聴いてもらい、気持ちを整理することがとても大切になってきます。家族が楽になることは、本人も楽になります。
 「パウンダリー」は心理的境界線といわれます。パウンダリーの側面は①体②考え③気持ちの3つです。考えや気持ちは違っていて当たり前ですが、依存症の問題が起こるとそれが見えなくなりがちです。
家族内の役割は固定されがちですが、それを壊して新しい関係を作っていくことも必要になることがあります。決まった役割から降りて、その関係性を風通しの良いものにしていくことも大切です。
依存症者は、「自分のままを受け入れていく」ことにより、新しい生き方を覚えていけると薬は必要でなくなっていきます。変えられないところを「受け入れて」「責めず」に「恥じない」「自分に対する怒り」を受け入れる
ことができてくると、回復がずいぶん進むようです。
 
毎回、渡邊先生のお話に救われ、教えていただいた道具を実践してきました。状況がぐんとよくなるわけではないですが、自分自身の心を整理し、自分を大切にすることを学ぶことができました。
今回も依存症者本人を「宮様」と思って距離をとるお話をしてくださいました。この考え方は多くの苦しい状況に風穴を開けていきます。今、苦しくて困っている家族はぜひ、実践してみてください。

令和2年 9月26日(土)・10月24日(土)「秋の市民公開講座」

  9月10月の「秋の市民公開講座」は、2回連続講座で国立精神・神経医療研究センター・精神保健研究所薬物依存研究部診断治療開発研究室長の近藤あゆみ先生をお招きして「薬物依存症者をもつ家族を対象とした対象とした心理教育プログラム」についてお話いただきました。会場に参加できない方へ講演会場からライブ配信しました。

 まずは「薬物依存症」とは、どんなものなのかという基本的なお話から始まりました。そして依存症からの回復について必要なものとして、「①薬物をやめること。②安全な生活スタイルを作ること。③薬物なしで幸せに生活できるための力を身につけること。」ですが、これには非常に時間がかかることや、仲間が必要であることを知っておくことが大事ですね。私たち家族も依存症者の混乱に巻き込まれ、同じように混乱し病的な状態に陥ります。家族がどうすればよいのか、まさしくそこが今回の研修の内容です。

 家族の薬物依存の問題が起こったときに、私たち家族も巻き込まれ眠れなくなったり食事ができなくなったりと、追い込まれていきます。まずは、落ち着きを取り戻すことが大切です。一日の中で安定する時間を少しでも持つようになること。混乱状態でそんなことを言われても、難しいのは家族の皆さんは痛いほどわかっています。家族も仲間と知り合い、助けを求められると変化が起こってきます。

 本人のみの治療ではうまくいかない場合が多いこと、家族のみの支援でもうまくいかない。両方への治療や支援が必要で、同時展開で回復していけるのが理想的な形になっていくそうです。

 家族が目指す依存症者本人との関係性は、「心理的境界線の明確化」が一番大切です。自分の領域、他人の領域を明確にすること。自分が何に責任を持つべきか、依存症の問題に巻き込まれると何もかもが家族の責任のように感じ、解決しなければいけないと必死になってしまいます。境界線を意識することは起こっている事態が誰の問題でだれが解決すべきなのかを考えることができるようになります。

そして「イネーブリングをやめる」こと、これもどの家族も知らず知らずに行ってきている行動だと思います。周囲の人が本人を助けようとして行うことが結果的に依存症を助長してしまう言動のことです。家族は依存症者を助けたいと思うことは自然なことです。しかし、助長していたことを知ることで踏みとどまって考えることができるのではないでしょうか。境界線を意識することでサポートの方法は変化してきます。サポートは本人の気持ちも大切にしながら、家族の思いだけでやらないことが変化を起こす大きなターニングポイントになるようです。さらに家族が目指す本人との関係性として、本人の自律的な考え方を強化することです。薬物使用につながる行動は答えないなどし、薬物なしでやっていこうとする姿勢を応援することです。最後は本人を治療の場につなげること。これは家族が一番悩んで苦しんでいることだと思います。家族が本人をとても愛していて、治療や回復のために協力を惜しまないことをしっかり伝えることが大切です。

 近藤先生は長年、家族支援をされていて具体的な言葉で表現することなどをお話の中に盛り込んで、楽しく明るく伝えてくださいます。会場の仲間の質問にも丁寧に答えてくださいました。「良い回復支援者に必要なこと」として「落ち着き・自律・信頼・尊重・希望」が大切だと締めくくられました。

10月26日(土)「秋の市民公開講座」

 映画「まっ白の闇」上映会 トークセッション/内谷正文監督・渡邉厚司先生

市民講座の2回目、薬物依存症と家族をテーマにした映画「まっ白の闇」を上映しました。その映画の監督であり俳優、自らも薬物使用、そして実弟の薬物依存症に向き合ってきたという内谷氏と、前回に引き続きマロニエ医療福祉専門学校医療学部学科長の渡邊先生に来ていただきました。  映画「まっ白の闇」は兄の勧めで薬物と出会い、知らず知らずのうちに薬物依存症になっていった弟と家族のストーリーです。どんどん薬物にのめりこんでいく主人公。周りの人を遠ざけて孤独になっていく様子。どうにもならない感情の爆発、家族との葛藤、犯人捜し、否認、壊れていく当事者と家族関係。薬物依存症に向き合ってきた家族なら、思い当たる場面があったと思います。家族会につながることで何かが変化する過程。本人に対してできることは何もないと認められるまでの葛藤。「無力」を自覚するときの覚悟。いろいろな思いが胸をよぎりました。 「回復」があることを信じられるまでの心の揺れを仲間に助けてもらいながら、ゆっくりと変化していく家族。そして本人にも居場所があり、仲間とともに歩き回復していける。山あり谷ありの回復への道、順風満帆ではないけれど待つしかないと腹をくくって、たくさんの家族が前に進もうとしています。  「薬物依存症」を社会に伝えていくために、映画を観て「何かを感じてもらいたい」という内谷監督の思いを横浜ひまわり家族会として発信する機会となりました。 後半は内谷監督と渡辺先生のトークセッションでした。 内谷監督は、弟さんに対して「クスリに巻き込んでごめん。助けたかった。でも方法も分からずただ薬物の使用を認めさせたいだけだった。」と話されました。「自分が苦しいのが嫌だった。弟よりも自分が大事だった。」「弟と自分は別だと分けて考えることを学んだ。」「家族会のミーティングは自分をさらけ出し、楽になれる場所。話すことで楽になれる。仲間ができる。」など、大切なメッセージを込めて映画を撮ったとも話されていました。 本人の回復と家族の回復は呼応していくもので家族も自分自身と向き合い始めると本人の様子も変わっていきます。 参加された保護司の方は、ご自分がかかわっている薬物事案の方の保護者にも観てほしいとおっしゃっていました。 弟さんは「真面目に生きることがどういうことか学んでこなかった。正直がどんな意味かわからなかった。それでも自分で考えて見つけていった。」といいます。 渡邊先生は、私たち日本の文化は掟にとらわれて、「しんどい、つらい」と言ってはいけない呪いをかけられてきたと表現されました。負の感情が内面化して話す経験が欠落してしまうとも。負の感情をはぐくむ場所があることが生きづらさの軽減につながるのではないでしょうか。 内谷監督は、「戦うより受け入れること。」が大切だとも話されていました。

9月29日(日)秋の市民公開講座

マロニエ医療福祉専門学校医療学部学科長 渡邊厚司先生の 「依存症は回復できる病気です」〜共依存からの家族の回復〜 と題した講演や家族の体験談と薬物依存症の本人体験談を行いました。

 家族の体験談は、楽多さんでした。薬物依存症である息子さんは、4年目のバースデーを迎えられたとのこと。5年前に7回目の入院のため、病院に送っていったときの富士山の光景が忘れられないと話されていました。一番印象的だったのは、息子さんが中学生の時に、当時の校長の花道を汚すなと学校から言われたというエピソードでした。今ならマスコミが食いついて大騒ぎになるような学校対応だと思います。入院先の病院で親の共依存を指導されていたそうですが、狂っていく息子を抱えて将来を絶望していた・家族が病んでいたと話されました。同じような感情は私たち家族会のメンバーも少なからず共有しています。だからこそ共感し、癒されていくのだと思います。社会の偏見を変えていくためにひまわり家族会の世話役を引き受け、これからも頑張っていきたいと力強いお話でした。

 依存症の当事者からは湘南ダルクのスタッフ・カズさんのお話でした。実家は中華料理屋を営んでおり、お父さんがずっと一緒にいる環境で育てられたそうです。お父さんはアルコールに問題があり暴力・暴言におびえて家族の中で問題を起こさないように生活をしていたとのことです。お父さんが事故にあったときにも「死んでしまえばいい」と感じていて、今も自分自身はとても傷ついていると言っておられました。親のようにはなりたくないと思っていたけど、アルコールが薬に変わっただけで同じだった・世代間連鎖を痛感したとのことです。 「自分の考えは間違いだらけだけど、今は一人で抱え込まないようにしている。依存症になり12ステップに出会え、回復していける。依存症になってよかった。」と締めくくっていました。

渡邊先生の研修会は、いつもの優しい語り口で始まりました。まず、共依存とはどんな状態のことかというと、自分の感情がわからない・他人のことで頭がいっぱいになる・他人の行動に反応する・他人のことに没頭して自分の優先事項を保留する・他人、職務、または状況についての責任を取る・否認システムに巻き込まれているという特徴があります。  家族間では見えない役割を無意識に背負っています。父であることや母であることは変えられないけれど、お世話をする人・怒る人、問題を起こす人・逃げる人などいつもの役割に気づき、それを回避すること、止めてみることから家族内に変化が表れ始めます。他者を変えるのではなく、自分の役割を降りてみる・一歩外から家族を俯瞰してみることが変化の第一歩になっていくことを伝えてくださいました。

 家族の中で問題が起こると、家族間の距離が一気に縮まり混乱してしまいます。境界線を越えないという意識が家族の問題を解決していくことに役立ちます。間にテーブルを置いてそれを超えない・話はテーブルに置くイメージでそれを受け取るか受け取らないかは本人の問題。支配やコントロールを避けて新しい関係を作っていくことが家族の回復につながっていきます。  渡邊先生が教えてくださるいろいろな感情の整理のツールにどれだけ救われてきたことかわかりません。新しい仲間にも伝えていきたいと思います。

2018「秋の公開講座」第2回目11月4日(日)「家族が元気になる“動機づけ面接”」

講師:原宿カウンセリングセンタ〜臨床心理士・精神保健福祉士

高橋郁絵先生

テーマ 「共感ってどうするの?」

「困った時の一言は」

まず、「是認」とは何か?「上からの目線ではなく、同じ目線で相手の強みや努力などを認め、言葉にして伝えること」が大切です。また、1回目の研修会でも学んだように、本人は家族が正したくなることをいろいろ行います。その時に家族がやってしまいがちなのは「間違い指摘反射」です。その心理の裏側には、家族が感じる不安だということです。「間違い指摘反射」の抑制には、「本人が本当に言いたいことは心の奥にある」と言う事を知っているだけでも反応しないでいられるようです。本人と話す中で、すぐに言いたくなる言葉・例として「私だって知ってるよ」や「あなたのことを考えているからこそ心配なのよ」などはNGワードです。相手の気持ちを想像して伝えてみる、すなわち共感の言葉をかけることで、関係性は大きく変化します。声の調子や語尾を少し落として話すなど、練習をすることもできることです。今回はグループになって「聞き返し」の練習をやってみました。語尾を下げ、言いきらないことで、押しつけ感が弱まり、話が続いて行きます。「言い方ひとつで行動の未来が変わる」これは私たち家族にとって、非常に大きな変化を呼び込むものではないでしょうか。

本人の話を聴くためには、話のどこに注目していくのかも大事なスキルになります。相手が変化したい気持ちをうまくくみ取って話すことが大切になります。本人も気づいてない気持ちを引き出すきっかけになるかも知れません。

例えば、「親のせいで人生が台無しになった。俺の人生を返してくれよ。そうしたら酒だってかんけいなくなるだろ!とりあえず金をくれ!」に対して、怒らず落ち着いて「本当はお酒じゃなくてもっと違う人生を歩きたかったんだよね。」などかなりハードルが高いですが、言えるといいですね。

話を聞きながら共感していくことで本人の落ち着きを引き出せる可能性もあります。ただ家族はいろんな問題に巻き込まれてきたので、まずは自分が落ち着けるようにすることが大切ですね。

研修会では、「言われて困る一言」への対応や共感の言葉をグループで考えました。例えば、「俺なんかいなくなった方がいいんだろう。」と言われたとします。みなさんはどう答えますか?「そんなこと思ってないよ。」でしょうか?それとも売り言葉に買い言葉で「そうだよ。あんたなんかいなくていいよ・」と言ってしまうでしょうか?難しいところですが、裏にある気持ちを汲むと、「にくまれていると感じてるんだね。」とか、立場がなくて苦しんだよね。」などが言えるといいですね。

家族が本人に言いたいことがあっても、本人に聞きいれる心のスペースがなければ言っても本人の気持ちには入らないということも学びました。そのスペースを作るための作業が「共感」していくことだそうです。

家族や当事者の体験談も、大切な言葉が散りばめられていて心に響くものでした。

日々の生活の中でコミュニケーションスキルを身につけていけるようにしたいですね。仲間とともに歩く・・・その第一歩でしょうか。