10月23日(日)2022秋の市民公開講座①

<依存症と家族の回復について>
講師:(一社)福祉コラボちむぐくる とちぎステップ家族相談室 室長 渡邉 厚司 先生
 
 今回は、何度もひまわりの研修会に来てくださっている渡邉厚司先生による『「12のステップ」という生き方の指針・原理に学ぶーアディクションからの回復と成長について考えるー』というテーマの研修会でした。
 まず、アディクション(依存症・嗜癖)の語源ですが、古くはローマ習慣法による借金奴隷にまで溯ります。この言葉が「奴隷になる」から始まって「何かに囚われる」→「○○に嵌って抜けられなくなる」といった些細なことにまで使われるようになっています。
「依存症」(アディクション)が意味していることは、自己治療仮説つまり生き延びるために必要とするアディクションというとらえ方があります。1次的ないたみや傷つきを癒し生き延びるために使っていたものが、2次的な症状を引き起こしてバランスが取れなくなります。「嗜癖行動」が激しいということは「抱えているテーマ」がそれだけ深く重いということになります。
依存症への理解がなかなか進まない背景は「道徳の問題」と位置づけられることが多い、とりわけ日本ではそう理解されることが多くあります。「自己を適切にコントロールすべし」という近代的規範(呪縛)こそが元凶となり、「意志が弱い」ダメな人間として理解されてしまいます。本当は「近代社会の狂った前提(構造)」が生きづらさを生んでいるといいます。
 今回の研修会でチャーリー・チャップリンの映画「モダンタイムス」が引き合いに出されていました。
人が社会の部品とされ、流れにうまく乗れない人は「ブラックシープ」(厄介者・もてあまし者)とされ阻害されていきます。しかし人生で逆転は期待できなくても「ブラックシープ」のまま誇りをもって生きるという選択をします。自分なりの幸福を追求し、人間性を回復していくこと、生きにくさや生きづらさの中に自分の身を置いて生きていこう、自分のホームに帰ろうとエンディングを迎えます。
 「12ステップ」とは、AAという共同体の中で生まれた生き方の指針です。AAは「宗教でも心理学でもなくスピリチュアル」なものとしてとらえられています。近代合理主義が「神」や「スピリチュアルな存在」を非合理的なものとして排除したことがアルコール依存症の原因という思想も生まれました。 
 「共依存」は依存症の世界ではよく使われる言葉です。「自分の存在論的安定のために、自己」の欲求を定義してくれる人を必要とする人」という意味で使われています。近代社会では自分で自身を常にチェックしながら軌道修正ができることが求められる社会になっていきましたが、そこからこぼれてしまう人が「共依存者」として理解されるようになってきました。
 「12ステップ」の考え方も歴史の中で変遷を遂げました。今、どのように理解していくのかがか私たちが生きるヒントになります。
「人生を他者のために生きるというのは大きな満足をもたらすものだが、このように生きるべきだと指図してくる他者のために生きると、どうしても破壊的になってしまう。よかれあしかれ、自分の人生は自分で選ぶべきだ。」
「ミーティングで行われること。それは『お互いの弱さを開示して知らせる場で、分かち合われる正直さによって苦境を切り抜けていくこと』である。」
【AAに学ぶ~その思想(人生の考え方)・哲学(人生の生き方)~より抜粋)】
 改めて「12ステップ」を心に刻んで新しい生き方に挑戦していこうと思いました。