4月22日(土)横浜ひまわり家族会 家族研修会

講師:特定非営利活動法人 群馬ダルク 施設長 福島 ショーン氏 & 代表 平山 晶一氏

 ひまわり家族会ではもうお馴染み、群馬ダルクのプーさんとショーンさんのコンビによる研修会が行われました。今回も2回シリーズです。

 まずは1回目の研修の紹介です。

今回は依存症本人の回復プログラムのお話でした。

「自分たちはなぜ再発するのか。」

アメリカのプログラムですが、文化は違えど病気は同じです。アメリカでは家族もプログラムを受けることが義務となっています。容器を正しく知ってもらうことが大切で、クスリが止まればいいというものではないということです。

「リラプス」~再燃~ 

 以前は「スリップ」と表現していましたが、スリップはアクシデントの要素を感じる表現です。リラプスは決してアクシデントではなく、ずれはじめが必ずあります。

①   自分に対し、相手に対し嘘、言い訳が始まる。

 自分に対しても嘘がはじまり、自分に対する嘘はバレない、ごまかせる。自分で嘘を許し始めていく。

 自分で気づいていないわけではないのに、次もやってしまう。

②   感情が乱れること、ストレスを感じる状況が増える。

 嘘をつかないとやっていけない、嘘が自然になる、平気ではないからストレスが増え妄想になっていく。 罪悪感や負の感情が表れ、妄想的に相手を見るようになってしまう。自分に負い目があるから態度や目つきを疑っていく。

クスリを使用する3つの理由

・楽になるため。   ・ご褒美。   ・逃げる。

すぐに、ずっとクスリを使う。人間関係の楽しみを知らずに生きてきている。生きづらさを抱えている。敏感であり、苦境を乗り越えるツールがない。クスリを使うことが結果が速いので楽に思える。一瞬は楽になるが問題は解決していない。

③   いっぱいいっぱいになる。

 ほかの方法を知らない。これまではらりっていて、乗り越えたことがない。相談もできなかった。

④   否認、大丈夫なふりをする。

   自分がいっぱいになっていることを認められない。認めるのが怖い。かっこ悪い。恥と思う。クリーンが長い人のほうが認めにくい。「大丈夫?」と聞かれても、何がおかしいのかわからない。

⑤   助けを求めない。助けを求めなくなる。

 仲間の中でクスリを止める。止め続けていく。いるだけで助けを求めていることに繋がるが、はじめは助けをどう求めるのかわからない。いきなりクスリを止めるのは大変なこと。

ベースには恥の気持ちがある。日本特有の世間体が邪魔をする。家族で解決すべき問題。

⑥   孤立することが増える。

 使っている人は孤立していく。素面なのにそうなっていく。ひとりでいると病気が勝ち始める。病気とふたりでいる状況になってしまう。

⑦   希望をなくす。自分がかわいそうになる。

 いつの間にか孤立し、うまくいかなくなる。周りが見えなくなり自分がかわいそうになる。「あいつのせいで…」など責任を転嫁する。希望がないからクスリを使っていた。使っても楽じゃないのにそのほうがマシに思える。

⑧   ハイリスクな状況に戻る。

 危ない状況になっている。使っていた場所や街に戻る。使いたいわけではないけれど戻ってしまう。昼夜逆転になり誰にも連絡をしなくなる。トリガーからハイリスクへ変化している。感情が乱れ、怒りがわく。

⑨   欲求が出やすくなる。

 悪いことではない。自動回路になっているだけだが、対応できなくなる。ギャンブルや暴力、風俗に行くようになる。

⑩   自暴自棄、投げやり、有力

 使っちゃえという気分になる。有力とは、使えばどうにかなるという発想で一発逆転ができる気がする。

このような段階を踏んでリラプスが起こっていきます。どこかで修正できることもあります。

世間や家族にもこのリラプスについて知ってほしいです。このプロセスは家族にも当てはまります。期待と理想を抱えている以上、お互いにつらいといいます。親はついつい期待と理想を大きくしていきます。世間一般の姿を描き取り戻してほしいと考えてしまいます。依存症者本人は家族が思う大人にはなれないです。

期待と理想を手放すとお互いが楽になれます。生きていればいいと思ってくださいと。

ショーンさんが、「僕たちはママがいなくても生きていけます。危ない道に逸れても、回復の道を歩いても、どちらでも自分で歩いていけるよ。」と、家族に重要なメッセージを送ってくれました。

3月25日(土)横浜ひまわり家族会 家族研修会

講師:一般社団法人 相模原ダルク 理事長 田中 秀泰 氏

 今回の研修会は、相模原ダルクから施設長の田中氏とスタッフの渡邉氏をお招きして行われました。

 田中氏が薬物のことで困っていた15年前は今ほど多くの相談機関がなく、ダルクも6か所以上行ったが回復がうまくいかなかったといいます。現在はインターネットで検索すると依存症関連の書物は100冊以上あがってくるし、回復施設も多く存在しています。この状況は普通ではなく、社会が病んでいるのだと。
近藤氏が作ったダルクは一定期間の規則があり、回復していける人はそれを肯定でき前に進んでいけるけれど、疑問に思ってしまうとプログラムにのっていけないこともあります。
田中氏は横浜ダルクに行ったけれどもその時は合わず、別のところを転々とする状況になります。本人にとってその施設が合う・合わないは当然あることで、「いい」「わるい」は自分の考えに過ぎないことに後から気づくこともあります。転々とせざるをえなかった自身の経験が「いいダルクを創りたい」という思いになり、相模原ダルクを10年前に立ち上げました。田中氏の「いいダルク」への思いは、相模原ダルクのシステムに反映されています。「卒業のあるダルク」を掲げ、プログラムを立てています。入所したころは慣れることに重点を置き、そのあとは役割を負って人のサポートをするなど、社会性を育てることにも視点を置き、ダルク後を見据えてシステムを構築しています。ダルクは「クスリ」を止めるだけのものではなく社会に出るためのステップにしたいという思いがあります。
 薬物事犯防止の役割も3段階に分けて組まれています。第1次予防は一般の人向けの啓発活動。第2次予防は、依存症になる手前の人を対象に相談事業を行っています。本人の背景を探りながら本人に合った方法を見つけていくことに力を注ぎます。第3次予防は入寮事業です。完全入寮で回復を目指します。
 依存症の場合、本人だけが病気ではなく、取り巻く家族も病んでいます。それには家族自身も気づくことが難しいことが多いです。本人と家族や周りの社会を分けて考え治療していくことが重要になります。
 「人が変わるのには時間がかかる」ダルクを出たらスリップしてしまい、ほかのダルクに行くことを繰り返すのはよくあることで、田中氏も同じように繰り返しダルクを出たり入ったりしていました。沖縄の回復施設で出会ったポール氏の「12のステップ」に心を奪われ半年で学びました。ポール氏のステップに取り組むことと卒業のあるダルクを創りたいという思いを実現していきます。
 相模原ダルクでは、長期の離脱症状を克服することを重要視しています。これを知らずに勘違いをすると間違った治療に繋がってしまいます。わかっている人と繋がって回復を進めていくことが大切です。
 また、回復の文化についても話されました。相模原ダルクでは卒業式を行っています。仲間が考える卒業とは何か?元の世界に戻ることではなく、依存症の中で観に着けた文化を徹底的に見直し、そのすべてが変わったかを点検するそうです。クリーンタイムだけが卒業の基準ではないことを明言されていました。
 依存症に巻き込まれて苦しんだ家族はどうすればよいのか。親として自責の念に苦しむ人は多いです。しかし、火事を目の前にして、火事の原因を考える人はいないように、まずは薬物を止めることに力を注ぎます。原因探しはそのあとです。家族と協力していくことの意味は大きく、「家族の治療を受けてほしいという思いがプレッシャーになって治療を開始した。」「関わりの深い家族は行動に影響を与えることができる。」「プログラムでは家族をきわめて重要な協力者と考える。」「家族もまた助けを必要としている。」ことです。
 家族が必死になって回復への道を作ろうとしてもうまくいかないこともあります。ただし、「そうであっても家族は自分の人生をより幸せなものにすることができる。」ことを心に刻んでおきましょう。家族がやるべきことや、共依存、回復など多岐にわたるお話でした。
まずは洞穴に入ってしまった本人が穴から手を出すのを待つこと、そこから回復の道が始まります。

同じく相模原ダルクのスタッフの渡邊氏の体験談。
 「12年前は洞穴にいました。」という渡邊氏。13歳からクスリを使っていたとのことです。当時中学生で、特に不安もなく困った生活でもなかったといいます。仲間からの誘いを断れなかった、友人関係が崩れるというプレッシャーがあったそうです。クスリを使って楽しむ文化に身を置いていて、彼女も巻き込んでしまった、止めるきっかけはあったのに、止めなかった。問題があってもクスリに逃げて乗り越える生活をしていたとのことです。大学進学を機に環境をかえ一人暮らしを始め、しばらくはクスリを使わずに生活ができたけれど、また使う環境になっていきました。依存症であることに自覚はなく、生き方が変わったわけでもなく、使う生活になり悪循環になっていきます。ずっと前から自分の生き方には問題があったのに、気づかずに過ごしていたと後になってからわかったそうです。
 22歳で親に知られることになり介入されます。親に連れられて千葉ダルクに行きましたが、「自分は違う。」と馴染めず出てしまいます。しかし自分ではどうにもならなくなり、ダルクへと気持ちが向き始めました。
3年後、両親との関係を再構築し始めたときに、「なぜあの時、あの行動をとったのか?」と尋ねたそうです。両親が回復の支えになっていたこと、家族会に行ってくれたことに今は感謝していると明るい表情で話されていました。

2023年2月26日(日)第8回「薬物依存症者と家族オープンセミナー」

去る2月26日(日)にラポールシアターで「横浜ひまわり家族会・第8回オープンセミナー」薬物依存症は病気です。~家族が笑顔を取り戻すために~を開催いたしました。
基調講演に北里大学医学部精神科学助教授の朝倉崇文先生を講師にお招きしました。

 当事者の体験談は、横浜ダルクのスタッフ、ソウさんでした。
 「プログラムで自分の人生を振り返っても、仲間のようにトラウマがあったわけではなかった。ただ薬があった。一緒にクスリをやっていた友達は失敗すると薬を止めていったが自分にはそれができず、コントロールを失っていった。仕事もなにもかも破綻して失っていったが止められなかった。逮捕されて「クスリとの戦いが終わる。」と思ったがうまくはいかず、死ぬに死ねなくてあきらめていた。ダルクで「止めようとすることを止める。」と言われ、プログラムの中で仲間の支えを頼りに少しずつ正気を取り戻した。」そんな苦しい思いを話されました。「今、悪夢から解放されている。」と明るい表情で話されていました。
 家族の体験談は、ジュンさんでした。息子さんのストーリー、家族のストーリー、薬物の問題が発覚してからどんな思いで今日までやってきたのか、ご夫婦の思いが詰まった体験談でした。家族会での出会いや回復などのお話もありました。

 朝倉先生の基調講演は、「常識ではわからない依存症。わかることで回復できる。」~レッテルを貼られた人達との出会いで得た、依存症の本質~というテーマでのお話でした。

「依存症」あなたにとってのイメージはどんなものでしょうか。「だらしない人がなる。」「意志の弱い人。」「快楽に身を沈めた結果。」「悪い奴。」このような社会の偏見や差別により本人や家族にとっては恥ずべき問題となっているのが現状です。例えば著名人では、逮捕されてからも否定する場合が多かった時期がありました。しかし、近年は「依存症であること」を告白するようになってきました。アメリカでは先にカミングアウトをして栄光を手放し回復に向かおうとする人、さらには栄光を手にしたまま治療にあたり復帰する人も出てきています。日本でも2018年ころより依存症治療を告白する人が出てきました。
 依存症の歴史としては、アメリカの禁酒法時代より前に社会問題として注目されており、規則や刑罰の強化をしてきました。それでもうまくいかず、飲む人は減らないことに反社会組織が目をつけ闇で売ることに。このころから病気としての認識も存在していました。道徳的・宗教的なアプローチも失敗しましたが自助グループの広がりで治療に成功するようになっていきます。心理学の発達も相まって一定の効果を上げていくようになりました。今現在は、断酒断薬ができない人でも生きられるようにという考え方も出てきています。ハームリダクション政策で問題を減らしていくという立場で治療にあたっていきます。社会的孤立や生活困窮・心理的安全性など背景の社会問題の支援をし、ライフスキル教育によって使わなくても生きていける、使わなければならない人を減らす政策に切り替えようという動きが出てきています。
 何年か前から言われている「依存症の自己治療仮説」というものがあります。不快な感情を緩和・逃れるために薬物を使う行動をとるというもので、一時的であれ手軽に確実に様々な問題から逃れることができます。他人に助けを求めると裏切られることもありますが、クスリは必ず効果があります。そのように感じている人が薬物使用を止めるには安心できる場・居場所・充足感などが重要です。ライフスタイルを変えないまま薬物だけを止めようとする人は多いようですが、それだけでは問題を解決することは難しいです。
 「ちゃんと生きたい気持ち」を持っている依存症者が、「ちゃんとできない現実。」にぶつかっても生きていけるように支援をしていくこと、問題解決において大切なことを認識できるように支援をすることが大切です。そのために、本人にとって「本当に困ること」「何とかなること」を区別することが必要になります。治療するには戦略を立てる必要があります。本人の意志の強さに頼るのは危険で無策の場合が多いようです。不安要素を分析し戦略を立て、その一つとして自助グループや病院が存在します。依存症になる人の特徴として「自分に自信がない。」「人を信じられない。」「本音を言えない。」「見捨てられる不安が強い。」「孤独で寂しい。」「自分を大切にできない。」などが挙げられます。支援者はまず本人の目の前にいる自分が彼らを受け入れること、それが彼らの最初の救いになります。
 家族は起きている問題を整理し誰かに相談すること。自分も疲弊しているのでケアをすること。家族教室や自助グループに通い背中を見せること、情報を集めること、治療者になる必要はないこと、依存症の課題と自分の課題を分けて考えることを実践できるとよいでしょう。家族の自助グループの役割は、「分かち合い孤独を解消すること。」「希望を見出すこと。」「陥りやすい失敗を知り振り返ること。」「新しい生き方をすること。」「自分の課題と家族の課題を分けて取り組むこと。」などです。

平安の祈りのなかの、「変えられるものは変えていく勇気、変えられないものを受け入れる落ち着きを、そして二つを見分ける賢さを」これにつきるということでしょうか。

Q&Aはセッションは、朝倉先生、横浜ダルクの施設長山田氏、スタッフのソウ氏、一般社団法人HOPEの栗栖氏、家族会のジュン氏、ファシリテーターの片山氏で行われました。

会場から、「本人との距離の取り方」の質問には、事情によっても違うけれど、ダルクからは「困らせたいわけではない。支えとして家族に一緒にやってもらいたいこともあるが、親は親の生活を大切にし、危険のないようにしてほしい。」「過保護になりがちだが誰のための行動なのか、自分が安心したいから構いたいのか考える。正解はわからない。」などのお話がありました。朝倉先生からは「家族は問題を分けるのが難しい。できないなら離れるほうが良い。困るところを見せてもよい。それがきっかけで本人が変わることもある。家族は自分が死ぬまでに何とかしたいと思うが、急ぐ原因になるのでその考えを捨てるとよい。死んでから変わってもよいのではないか。人はいつか変わると信じること。」などのご意見でした。
最後に会場から当事者の手が挙がりました。言葉に詰まりながらもやっと心の叫びを発してくれた男性。「ドラッグに逃げた自分。自分にしかわからないことがある。人のせいにしたくないが、家族への不満、意見の食い違い、両親の【ものさし】に合わなかった。母の変化を感じ自分も言えるようになってきた。親の一歩と自分の一歩は違うが進んでいきたい気持ちがある。みんなが同じではないが少しずつ進んでいることを認めてほしい。」心の叫びともとれる大切な発言でした。朝倉先生からは、「時間をかけて世代間連鎖を切るように努力してほしい。」と言葉がかけられました。

1月28日(土)横浜ひまわり家族会 家族研修会

講師:一般社団法人「カハナ」所長 高橋 仁氏と、NPO法人アパリ 理事 高橋 洋平弁護士

 今回の研修会は、一般社団法人「カハナ」の所長 高橋 仁氏と、NPO法人アパリ理事の高橋 洋平弁護士のおふたかたをお招きして行われました。
 まずは、「カハナ」の所長である高橋 仁氏の体験談でした。
仁氏は中学時代からシンナーを使い、15~16歳で覚せい剤を使い始めたそうです。幼少期から教育に厳しい家庭で、そのころの記憶といえばたたかれることが多く、「なぜ俺ばかり?」と思ってきたこと、謝れずにいたことを思い出すとのこと。父との関わりは薄くあまり話さない父がどういう人なのかわからなかったとも。何をしても「ダメ」と言われるばかりで、そのうち自分のことを話さなくなっていったそうです。自分がやった悪いことを認めず、親に怒られると、ばれないようにしていく。幼少期から身についたことは、大人になってもあまり変わらなかったそうです。中学時代は先輩とたばこやシンナーを使い、マイナスの情報もなかったため楽しく使っていたとのことです。高校は「とにかく卒業したほうがよい」と言われ通ったが、そこで「夜回り先生」の水谷修氏に出会ったそうです。水谷氏だけは寄り添ってくれましたが、1年生の途中で退学してシンナーを使う生活にはまり込んでいきます。シンナーを止めたのは、覚醒剤を使ったから。「シャブをやったらおしまいだ。」と思っていたけど、スパーンと抜ける感じがたまらなく、においもしないしばれないと思ったそうです。楽しむために使っていた覚せい剤がいつの間にか「生きるため」の物に変わっていき、止められなくなっていきます。「最後の一回」を何度も打っては後悔する日々。母にはダルクや病院・警察のなかからどこかに行くように迫られたりもしていました。そんな中、周りを黙らせたくて一か月の入院をしました。その時も自分ではなく「医者が何とかしてくれる」「退院したら欲求がなくなるんだろ?」と問題に向き合おうとはしなかったと。そんな時、メッセージ活動で出会った「ダルク」の印象が強烈だったといいます。「ハグ?」「宗教?」これは何なんだ。母に食って掛かっても言い合いにもならず、外堀が埋められていく感じがしたそうです。入院時に知り合った人が横浜ダルクにいたので相談に行ってみたらNAを勧められ、参加したものの自分のことを話すのに慣れておらず、一回のみの参加になりました。母が持ってきた現藤岡ダルクのパンフレットを見て入ることになりましたが、半年は慣れず飛び出しては薬物を使ってしまっていたとのこと。しかしだんだんと仲間の話が自然に自分の中に入るようになって考え方が変わっていったといいます。クリーン1年目が一番正直に生きていたように思うそうです。
 母が自分の薬物問題で苦しんでいたことは、幼少期の恨みもあり、「ざまあみろ」と思う時期もあったけど、今になって母の気持ちがわかることもある。母は現在、自分自身の生き方のために家族会で勉強をしていると話されていました。21年間、薬物を止められているのは仲間がいて居場所があって寂しくないからだとのこと。
近藤氏が生前に作ってくれたいろいろなものが繋がって今があると感慨深く話されていました。

 研修会の後半は、高橋弁護士のお話です。


「新しい弁護活動~更生と回復を目指して」というテーマでした。高橋弁護士は、弁護士になりたての頃奥田弁護士と出会い、薬物事犯に関わるようになりました。そしてダルクとのつながりが始まり、今はアパリの理事をされています。自分が弁護した人がダルクに入寮していると次に弁護した人もダルクにつなげやすいというメリットがあり、なにより回復していく姿を見ていけるのがやりがいに繋がっているといいます。ダルク後の関わりをつなげていけるネットワークが機能していくと、もっと生きやすい社会になるのではないかと考えているそうです。いろいろなダルクを見る機会が多い高橋弁護士ですが、回復の道のりの難しさは感じざるをえないとも。家族は薬物依存症の本人を何とかしようと必死になりますが、正解がなんなのかわからないときもあります。回復や治療の情報はインターネットでも収集できますが、それではやはり限界があります。相談先はあっても弁護士事務所には生きにくさがあります。だから依存症家族会に出向いて知ってもらうことを大切に考えて活動をされています。
 違法薬物事犯での逮捕から、どう本人の人生を考えていくのかが弁護のカギとなると考えているそうです。
「私はやっていない」と主張する場合、その後の人生で社会人として生活できるのか。その時だけは確かに薬物を使用していないかもしれない、しかし本当はずっと使用している。無罪を勝ち取ることがリハビリを受けなくてよい理由になってしまい、チャンスを逃さないか。本人が新しい生き方を学び自立していけるのか。借金など抱えている問題を自分で解決できるようになるまで長期の人生プランを立てていくことが必要だとのこと。裁判では家族の役割も重要な位置づけにあります。前科がつくことを嫌がる家族が多いですが、本人が目指すべき姿を共に考えていけるようにしていくそうです。
 出会いで人は変わっていけます。弁護士として本人の回復プランを立てていきますが、弁護士だけで何かを変えることは難しいですが、変えていくきっかけを作ることは可能だと、日々の弁護に尽力されています。最近はダルクの入寮を説得することはせず、「楽しそう。すごい。」と思ってもらえればよいと考え、ダルクの魅力を伝えていけるようにしているそうです。
 薬物事件で逮捕されていなくても、本人が抱える法的問題を中心に回復支援をサポートしてくださいます。
まずは相談ですね。

11月27日(日)横浜ひまわり家族会 2022秋の公開講座②

<依存症と家族の回復について>

講師:原宿カウンセリングセンター 臨床心理士 高橋 郁絵先生と国立精神神経医療センター 近藤 あゆみ先生。
ゲスト:湘南ダルク・ケア・センター 施設長 栗栖 次郎氏
 
 今回の公開講座は、原宿カウンセリングセンターの臨床心理士・高橋 郁絵先生と国立精神神経医療センターの近藤あゆみ先生に起こしいただきました。
 去年の公開講座のテーマ「楽になるってどんなこと?Part2」~家族と当事者を楽にするためにするちょっとしたコツ~のお話をしていただきました。
 10年ほど前までは、依存症の問題が起こったときには「手を離しましょう。本人の問題は本人に。あなたが楽になりましょう。」という考え方で解決に結びつけていこうとするやり方が主流でした。その後いろいろな研究が進んでいく中で「かかわっていこう」という考え方に変わってきています。「知識を持ちましょう。本人とよいコミュニケーションを持ちましょう。相談を続けましょう。」などのかかわり方です。本人を助けることと、私たちの人生を大切にすることの両方をうまく工夫しながら両立しましょうというとらえ方に変化してきています。
 一口に対応を変える、工夫する、などといっても巻き込まれて混乱している家族には、見えなくなっていることも多いのが現実です。
家族はなぜこんなにしんどくなるのか?まず無理をしていること。眠れなくなること、体が悲鳴を上げているのにそのしんどさを手放せないこと、依存症本人の回復の正解がわからないこと、ほかの家族との関係が壊れてしまうこと。そして一番の苦しみは、うまく育ててあげられなかった、解決してあげられなかったという自責の念でしょうか。
話し方のエクササイズも交え、コミュニケーションの変化についても学びがありました。たとえて言うなら童話「北風と太陽」のような対応の違いでしょうか。圧力をかけて脅してもかたくなになるばかりで、逆に依存症者本人が語れるように会話を進めていく方法などロールプレイをしながら学びました。「人が変われない理由は、変わらなければならない理由についての理解不足で、変わるための具体的な方法を知らないから」と考えて話すのか、または「変化を動機づける有効な方法は、本人に気がかりを自ら話すように促して、その気がかりと共有して確認していくこと」と考えて対応するのか?なかなか変わらないときの心理状態や、変わる用意がない時にいくら説得を試みても無駄になることなど丁寧なお話がありました。
「決めるのは本人。」一見回り道のようで、家族としては不安を感じずにはいられない対応ですが、実は待っている間に本人が自分のこととして考えることで自律性が生まれてきます。「自分の人生のことを自分で決める=自律性の尊重」最終的に決めるのは本人だということを家族である私たちが意識できるかどうかにより変化が起こってくると思います。関わりを通して本人の決断に影響を与えることは可能です。本人の言葉を確かめ、本人の強みや努力を認めて伝えていくことで回復に前向きな言葉が生まれてくるのではないでしょうか。
混乱に巻き込まれた家族が気を付けなければいけないのは、本人との境界線をはるかに超えてしまってさらに混乱していく状況になることです。どこに境界線を引くのかを考えること、またそれを超えて話したいときには同意を得ることなど相手を尊重する姿勢を身に着けていきたいものです。アドバイスをしたいときにも依存症者本人に許可を得ると少しはスムーズにいくかもしれません。本人が混乱して暴力があるときには、「逃げる」ことを最優先することも大切です。
「毎日は小さな選択の連続。ひとつの選択が一歩先を照らしてくれる。小さい選択を繰り返すことで道が作られる。」
恐れず、少しの勇気をもって一歩を踏み出せるようになりたいですね。
高橋先生、近藤先生、湘南ダルクの栗栖さんも加わって、参加者の質問に丁寧に答えてくださり、公開講座は終了となりました。

10月23日(日)2022秋の市民公開講座①

<依存症と家族の回復について>
講師:(一社)福祉コラボちむぐくる とちぎステップ家族相談室 室長 渡邉 厚司 先生
 
 今回は、何度もひまわりの研修会に来てくださっている渡邉厚司先生による『「12のステップ」という生き方の指針・原理に学ぶーアディクションからの回復と成長について考えるー』というテーマの研修会でした。
 まず、アディクション(依存症・嗜癖)の語源ですが、古くはローマ習慣法による借金奴隷にまで溯ります。この言葉が「奴隷になる」から始まって「何かに囚われる」→「○○に嵌って抜けられなくなる」といった些細なことにまで使われるようになっています。
「依存症」(アディクション)が意味していることは、自己治療仮説つまり生き延びるために必要とするアディクションというとらえ方があります。1次的ないたみや傷つきを癒し生き延びるために使っていたものが、2次的な症状を引き起こしてバランスが取れなくなります。「嗜癖行動」が激しいということは「抱えているテーマ」がそれだけ深く重いということになります。
依存症への理解がなかなか進まない背景は「道徳の問題」と位置づけられることが多い、とりわけ日本ではそう理解されることが多くあります。「自己を適切にコントロールすべし」という近代的規範(呪縛)こそが元凶となり、「意志が弱い」ダメな人間として理解されてしまいます。本当は「近代社会の狂った前提(構造)」が生きづらさを生んでいるといいます。
 今回の研修会でチャーリー・チャップリンの映画「モダンタイムス」が引き合いに出されていました。
人が社会の部品とされ、流れにうまく乗れない人は「ブラックシープ」(厄介者・もてあまし者)とされ阻害されていきます。しかし人生で逆転は期待できなくても「ブラックシープ」のまま誇りをもって生きるという選択をします。自分なりの幸福を追求し、人間性を回復していくこと、生きにくさや生きづらさの中に自分の身を置いて生きていこう、自分のホームに帰ろうとエンディングを迎えます。
 「12ステップ」とは、AAという共同体の中で生まれた生き方の指針です。AAは「宗教でも心理学でもなくスピリチュアル」なものとしてとらえられています。近代合理主義が「神」や「スピリチュアルな存在」を非合理的なものとして排除したことがアルコール依存症の原因という思想も生まれました。 
 「共依存」は依存症の世界ではよく使われる言葉です。「自分の存在論的安定のために、自己」の欲求を定義してくれる人を必要とする人」という意味で使われています。近代社会では自分で自身を常にチェックしながら軌道修正ができることが求められる社会になっていきましたが、そこからこぼれてしまう人が「共依存者」として理解されるようになってきました。
 「12ステップ」の考え方も歴史の中で変遷を遂げました。今、どのように理解していくのかがか私たちが生きるヒントになります。
「人生を他者のために生きるというのは大きな満足をもたらすものだが、このように生きるべきだと指図してくる他者のために生きると、どうしても破壊的になってしまう。よかれあしかれ、自分の人生は自分で選ぶべきだ。」
「ミーティングで行われること。それは『お互いの弱さを開示して知らせる場で、分かち合われる正直さによって苦境を切り抜けていくこと』である。」
【AAに学ぶ~その思想(人生の考え方)・哲学(人生の生き方)~より抜粋)】
 改めて「12ステップ」を心に刻んで新しい生き方に挑戦していこうと思いました。

2月24日(日)第4回「薬物依存症者と家族オープンセミナー」を開催しました。

薬物依存症は病気です。〜家族が笑顔を取り戻すために〜をテーマに、 横浜ひまわり家族会のオープンセミナーも第4回になり154名の参加がありました。今回は家族の体験談や依存症本人の体験談、そして茨城県立こころの医療センター前副院長の中村惠先生をお招きし、[薬物依存症とその周辺ー重複障害などー]と題して基調講演をしていただきました。

まずは家族の体験談として、依存症の問題を抱えたパートナーについて話してくださったのは、まりさんです。パートナーの依存症をなんとかしなければと思い、お金の管理や本人の居場所の確認など全てを抱えてしまったこと、そして依存症について勉強していく中で「ほおっておく」ことがやっとできるようになってきたことなどご自身の変化を中心に話されました。

「言葉は少なく示すこと」「ひとりで抱え込まないことが大切、それは本人も家族も」と締めくくってくださいました。

二人目の家族体験談はジュンさんです。薬物の問題に直面したのは、息子さんがまだ高校生の時。ジュンさん自身がその問題を否認してしまい、なかなか回復にのっていかなかったけれど、「手を放す」ことをし始めたら、事態が動き始めたことなどを話してくださいました。退寮し、一人暮らしを初めて3年、順調に回復と言いたいけれどいろんなことが起こっていくとのことです。しかし、本人の生き方と自分の生き方は別、「ゲシュタルトの祈り」をいつも心に浮かべて、自分の回復、本人の回復に向かっていきたいとのことでした。

本人体験談は日本ダルクのスタッフTさんです。なぜ依存症になってしまったのか?考えていくと「自分の問題をすべて母のせいにして生きてきた。厳しい母の下、自分がこうしたいと言えずに反発をしていた。薬物を使ったからこうなったのではなく、薬物以前から抱えていた問題が多かったと感じているとのことです。ダルクのプログラムは、「恨みを感謝に変えていくプログラム」であり続けていかないと元の生き方に戻ってしまうと話されていました。薬物は一人じゃ止められない。止めてから自分の人生をやり直している。この病気のおかげで気付くことがあったと家族に言われたことが心に残っているそうです。

基調講演は中村先生です。精神障害者の自立支援施設を開いたり、茨城県の薬物依存症対策システムを作り、「IARSA」(NPO法人茨城依存症回復支援協会)を立ち上げ、精力的に薬物問題に取り組んでおられます。

基調講演のテーマは「薬物依存症とその周辺~重複障害など~」でした。

「薬」を止めたら生きるのがつらい人。外来患者の半数以上は「薬」以外の問題を抱えており、そちらに焦点を当てていかなければ「薬」も止まらない場合が多いとのことです。職業や生き方を変えればなんとかなる人もいます。回復施設などのプログラムを受け続けても効果が見られず沈殿してしまう人も多くいます。

「時代に合わないという問題をベースに持つ薬物依存症者」は薬を止めると問題が周囲にばれてしまうなど、薬を止めても働けないことが多く、ひきこもりに通じる問題となってしまうことがあるそうです。

「そもそも、ひきこもりはそんなに悪いのか?」出発点のこの状態を大切にしてあげることが、死なないための選択であり、何かが生まれるとしたら、そこからしかないとのことです。専門家は大人の自閉症にまで手が回らないことが多いが、日常生活から見守っていき、少人数のグループのプログラムを受けることで、他者の様子がわかり、家族とも少しはうまくやっていけることがあると言います。

自分の問題の何がわかればいいのか?本人がどう生きれば楽しく幸せなのか、個別に寄り添い支援していくことが大切です。

回復施設でどんな人が沈殿していくのかというと、薬物使用による後遺症や慢性の中毒、統合失調症などの重複障害を持っている、時代に合わないベースを持っている人など、いろいろなケースがあります。「IARSA」は回復施設的な要素と、精神障害者の施設的な要素、社会復帰支援の要素があるとのことです。どんな人が、どう支援をすれば、いかように生きていけるか、わかっていく場所であり、そこで何ができるかは、メンバーが教えてくれて、支援自体も進歩してく場です。もっと多く「IARSA」のような施設が出来るようにしていきたいとのことでした。

家族としても重複障害の問題に向き合うことも多いので、是非応援していきたいと思いました。

Q&Aセッションでは会場からの質問もあり、依存症本人や施設スタッフ、中村先生からアドバイスをいただきました。

1月26日 家族研修会 

今回の研修会は、神奈川県立精神医療センターのケースワーカー井上恭子先生をお招きしました。井上先生は長年、薬物依存症に関わってこられており、家族支援のスペシャリストといっても過言ではないような方です。横浜ひまわり家族会としても何年にもわたり研修会をしていただいています。

研修会のスタートは、ウォーミングアップとして十数名の家族会のメンバーが前に出て、自分の緊張度を並び順で表現したり、困り感を表現したりしました。メンバーの気持ちがほぐれたところで、軽快な井上氏の話がスタートしました。

まずは精神医療センターでのプログラムの紹介をしてくださいました。薬物依存症になってしまう人の多くは「過剰適応」をしてしまう人だと言います。

「断れない」そもそも「断るという感情が分からない」・・・そんな自分の本当の感情に気づいていくことが大切で、そのためのプログラムをグループで行っています。いろんな事に自分を合わせていくために「薬」が必要だったということです。

医者は「患者の病気」を診ます。心理士は心の問題・作業療法士は行動面・ソーシャルワーカーは色々な社会資源につなぐためのアセスメント・経済状況や収入・生活のキーパーソンや家族関係などを担当するそうです。問題の解決には、家族への支援も重要になります。

私たち家族は、一番に困るのは本人を治療に繋げること、そしてその後の生活をどう支援していくかということです。福祉サービスの利用や就労支援など、家族だけでは出来ないことが沢山あります。そんな時には家族が気軽に相談できる場所を知っておくことも大切です。

研修会当日は、参加者から質問されたことにも快く応えていただきました。家族として、本人の回復を考え、つらい選択をせざるをえないことも多々あります。後悔することもあるかもしれないけれど、その時のベストの選択をしていくしかありません。家族の力はすごく大事です。

決めたら実行する強さも持たないといけません。

そんな時もひとりで悩まず家族会の仲間と手を取り合って進んでいくことが大切だと教わりました。

11月24日(土)家族研修会

今回の研修会は、横浜保護観察所の統括保護観察官の林 京子さんをお招きして、「一部執行猶予と薬物事犯者の処遇について」というテーマでした。

まず、「更生保護」とは何かということについてお話がありました。「犯罪を犯した者及び非行のある少年に対し、社会内において適切な処遇を行うことにより、再び犯罪をすることを防ぎ、またその非行をなくし、これらの者が善良な社会の一員として自立し、改善更生することを助けるとともに(中略)犯罪予防の活動公共の福祉を増進することを目的とする。」ということです。わかりやすく表現すると、犯罪を犯してしまった人も地域社会で生きていけるようにするということでしょうか。

そして「保護観察」とは、犯罪を犯したひとや非行のある少年が健全な社会の一員として更生するように実社会の中で保護観察官と保護司が協働して指導・監督・補導援護を行う制度です。保護観察を言い渡された人は、ボランティアである保護司と定期的に面談をし、地域での生活を支えてもらうと表現すると理解しやすいでしょうか。

「刑の一部執行猶予制度」により、保護観察に付されている期間が長くなり、社会内処遇の時間が確保されるようになりました。保護観察の間に、薬物再犯防止の教育プログラムを受けることが出来ます。薬物事犯者は再犯率が高く、刑を執行されるだけでは、抑止しにはならないことはもはや、周知の事実です。保護観察官と保護司による指導では、直接会い、本人の状況を知ることや約束ごとを守るように働きかけ、専門的なプログラムを実施しています。

薬物に問題のある人は、自尊感情が低い人が多いように感じるとのことです。保護観察を通じて、話しあう事ができる関係作りや、問題を相談して解決するという体験を積むことや、自分が大切に思われる経験をし、自尊感情が持てるようになること、必要な支援に繋がり続け、生きづらさを共有して問題解決に関する知恵を習得できるようになることが目標だそうです。NAやダルクなどにつながり、仲間とともにいることで生きづらさが少しでも楽になれるといいですね。薬物依存から脱するためには当事者に会い、回復していくその姿を感じることが大きな希望になると思います。保護観察が終わってからも、居場所があり相談相手がいることはその後の人生に大きなプラスになります。

薬物再乱用防止プログラムでは、簡易薬物検出検査と教育課程がセットで実施されます。コアプログラムとステップアッププログラムがあり、特性ン合わせた内容となっています。保護観察終了まで受講することになります。

家族の理解も大きな支援になるので、家族自身も支援機関に繋がることは大切です。

家族も「依存症」について勉強しなければいけませんが、保護観察所では引受人会で学習する機会があるとのことです。

保護観察の中で大きな役割を果たす保護司ですが、「依存症」を学ぶ機会があまりないということを、横浜ひまわり家族会のフォーラムなどで感想があがります。是非、学習の機会を作っていただきたいと思います。

そして保護観察の後、どう生きていくのか。福祉的な援助が必要になります。福祉や厚生労働省を巻き込んで社会のシステムをしっかり作ってほしいとの熱い思いと要望がでて終了となりました。

 

 

2018「秋の公開講座」第2回目11月4日(日)「家族が元気になる“動機づけ面接”」

講師:原宿カウンセリングセンタ〜臨床心理士・精神保健福祉士

高橋郁絵先生

テーマ 「共感ってどうするの?」

「困った時の一言は」

まず、「是認」とは何か?「上からの目線ではなく、同じ目線で相手の強みや努力などを認め、言葉にして伝えること」が大切です。また、1回目の研修会でも学んだように、本人は家族が正したくなることをいろいろ行います。その時に家族がやってしまいがちなのは「間違い指摘反射」です。その心理の裏側には、家族が感じる不安だということです。「間違い指摘反射」の抑制には、「本人が本当に言いたいことは心の奥にある」と言う事を知っているだけでも反応しないでいられるようです。本人と話す中で、すぐに言いたくなる言葉・例として「私だって知ってるよ」や「あなたのことを考えているからこそ心配なのよ」などはNGワードです。相手の気持ちを想像して伝えてみる、すなわち共感の言葉をかけることで、関係性は大きく変化します。声の調子や語尾を少し落として話すなど、練習をすることもできることです。今回はグループになって「聞き返し」の練習をやってみました。語尾を下げ、言いきらないことで、押しつけ感が弱まり、話が続いて行きます。「言い方ひとつで行動の未来が変わる」これは私たち家族にとって、非常に大きな変化を呼び込むものではないでしょうか。

本人の話を聴くためには、話のどこに注目していくのかも大事なスキルになります。相手が変化したい気持ちをうまくくみ取って話すことが大切になります。本人も気づいてない気持ちを引き出すきっかけになるかも知れません。

例えば、「親のせいで人生が台無しになった。俺の人生を返してくれよ。そうしたら酒だってかんけいなくなるだろ!とりあえず金をくれ!」に対して、怒らず落ち着いて「本当はお酒じゃなくてもっと違う人生を歩きたかったんだよね。」などかなりハードルが高いですが、言えるといいですね。

話を聞きながら共感していくことで本人の落ち着きを引き出せる可能性もあります。ただ家族はいろんな問題に巻き込まれてきたので、まずは自分が落ち着けるようにすることが大切ですね。

研修会では、「言われて困る一言」への対応や共感の言葉をグループで考えました。例えば、「俺なんかいなくなった方がいいんだろう。」と言われたとします。みなさんはどう答えますか?「そんなこと思ってないよ。」でしょうか?それとも売り言葉に買い言葉で「そうだよ。あんたなんかいなくていいよ・」と言ってしまうでしょうか?難しいところですが、裏にある気持ちを汲むと、「にくまれていると感じてるんだね。」とか、立場がなくて苦しんだよね。」などが言えるといいですね。

家族が本人に言いたいことがあっても、本人に聞きいれる心のスペースがなければ言っても本人の気持ちには入らないということも学びました。そのスペースを作るための作業が「共感」していくことだそうです。

家族や当事者の体験談も、大切な言葉が散りばめられていて心に響くものでした。

日々の生活の中でコミュニケーションスキルを身につけていけるようにしたいですね。仲間とともに歩く・・・その第一歩でしょうか。