今日の研修会は栃木ダルクの代表理事、栗坪千明氏を迎えて行われました。
栗坪氏は28歳のとき(1997年)に茨城ダルクに入寮し覚せい剤を止めることができました。覚せい剤は20歳ころより使用、その前はいわゆるツッパリで仲間から覚せい剤が回ってくる生活でした。建築士として働いていたころは、バブルで仕事が非常に忙しく建築士の仕事が好きで充実していたそうです。そのころは薬物を使うこともなく、仕事に没頭していました。バブルがはじけ仕事がなくなってきたころ、苦境を乗り越える力がなく覚せい剤にのめりこんでいったようです。薬物を使用中に家にあった日本刀で竹を試し切りしていた姿を見て母が警察に通報。やってきた警官が栗坪氏の腕の注射痕を触りながら、「君は薬物をやったんじゃないよな?」と尋ねてくれて「やってない」と答えたら回復への道につながったと言います。ダルクに入寮後は日本刀を振り回していたことが知れ渡っていて、包丁を使う調理はさせてもらえなかったとのことです。茨城ダルクで法人申請の担当になった後、栃木ダルクの開所に携わることになったそうです。
栃木は、ダルクなど依存症に関することを受け入れる環境にはなく、別荘地の建物を借りて開所するときも大家さんから「ダルク」の名前を使わないでほしいと言われたり、公安警察が見学に来たりしたそうです。県の薬務課は「薬物使用者がいたら逮捕はするよ。」と言ったそうです。地域に連携できる機関がないのだから自己完結型の施設にするしかないと思い、今の栃木ダルクの形にするしかなかったようです。アメリカの支援方法を学び支援方法に段階があることに気づき、今の階層型システムを構築しています。
まずは「クスリ」を止めるところ、そしてゆっくり回復する場所、社会復帰を目指す場所という段階を作り利用者に卒業という希望を持てるようにしたそうです。社会復帰をする人がいないとやる気がなくなってしまいます。
支援の3本柱として、「回復プログラム」「生活力」「社会性」を掲げ、階層式にプログラムを実施していきます。ファーストステージで動機付けをし、止めていくためにプログラムに取り組みます。セカンドステージでは問題の直面化をすること、認知行動療法などを実施し、回復の道を進みます。サードステージは社会復帰を目指していきます。慣れが出てくる時期でもありますがそれは正常の回復ととらえます。自分を過信することは危険ですが、一人で生活を回していけるようにしていきます。この段階で家族との関係を再構築することに取り組みます。プログラムが終わった人にはきちんとした形で修了証を渡し、やり遂げる自信をつけられるように取り組んでいます。
家族の支援事業は家族教室を開催し、8回で1クールとしています。できるだけ両親ともに参加することが大切です。「依存症について」や「本人への対応」「家族自身の健康」について学んでいるそうです。家族関係の再構築は家族教室に参加していることが条件となり、自分の問題に目を向けて本人との関係性を見直すことや、社会復帰後の本人と家族の関係のありようについてともに考えていくようにしているそうです。
研修会に来月80歳になるという栗坪氏のお母様も来られていました。茨城ダルクの家族会をけん引して来た方で、今は地元で「ナラノン」を開催していらっしゃいます。今回は息子である栗坪氏に「出かけよう」と言われてついてこられたそうです。ナラノンをやっているのは自分がプログラムから離れないため、泣いてナラノンにたどり着く人がいる。その人と一緒にいることがご自身の安心材料だそうです。
お話の後も、研修会に参加した家族会のメンバーの質問に丁寧に答えてくださいました。
「本人がよくなっても、親が繋がっていることが再発の抑制になる。」と話されていました。