2024年1月27日(土)横浜ひまわり家族会 研修会

今日の研修会は栃木ダルクの代表理事、栗坪千明氏を迎えて行われました。

 栗坪氏は28歳のとき(1997年)に茨城ダルクに入寮し覚せい剤を止めることができました。覚せい剤は20歳ころより使用、その前はいわゆるツッパリで仲間から覚せい剤が回ってくる生活でした。建築士として働いていたころは、バブルで仕事が非常に忙しく建築士の仕事が好きで充実していたそうです。そのころは薬物を使うこともなく、仕事に没頭していました。バブルがはじけ仕事がなくなってきたころ、苦境を乗り越える力がなく覚せい剤にのめりこんでいったようです。薬物を使用中に家にあった日本刀で竹を試し切りしていた姿を見て母が警察に通報。やってきた警官が栗坪氏の腕の注射痕を触りながら、「君は薬物をやったんじゃないよな?」と尋ねてくれて「やってない」と答えたら回復への道につながったと言います。ダルクに入寮後は日本刀を振り回していたことが知れ渡っていて、包丁を使う調理はさせてもらえなかったとのことです。茨城ダルクで法人申請の担当になった後、栃木ダルクの開所に携わることになったそうです。

 栃木は、ダルクなど依存症に関することを受け入れる環境にはなく、別荘地の建物を借りて開所するときも大家さんから「ダルク」の名前を使わないでほしいと言われたり、公安警察が見学に来たりしたそうです。県の薬務課は「薬物使用者がいたら逮捕はするよ。」と言ったそうです。地域に連携できる機関がないのだから自己完結型の施設にするしかないと思い、今の栃木ダルクの形にするしかなかったようです。アメリカの支援方法を学び支援方法に段階があることに気づき、今の階層型システムを構築しています。

 まずは「クスリ」を止めるところ、そしてゆっくり回復する場所、社会復帰を目指す場所という段階を作り利用者に卒業という希望を持てるようにしたそうです。社会復帰をする人がいないとやる気がなくなってしまいます。

 支援の3本柱として、「回復プログラム」「生活力」「社会性」を掲げ、階層式にプログラムを実施していきます。ファーストステージで動機付けをし、止めていくためにプログラムに取り組みます。セカンドステージでは問題の直面化をすること、認知行動療法などを実施し、回復の道を進みます。サードステージは社会復帰を目指していきます。慣れが出てくる時期でもありますがそれは正常の回復ととらえます。自分を過信することは危険ですが、一人で生活を回していけるようにしていきます。この段階で家族との関係を再構築することに取り組みます。プログラムが終わった人にはきちんとした形で修了証を渡し、やり遂げる自信をつけられるように取り組んでいます。

 家族の支援事業は家族教室を開催し、8回で1クールとしています。できるだけ両親ともに参加することが大切です。「依存症について」や「本人への対応」「家族自身の健康」について学んでいるそうです。家族関係の再構築は家族教室に参加していることが条件となり、自分の問題に目を向けて本人との関係性を見直すことや、社会復帰後の本人と家族の関係のありようについてともに考えていくようにしているそうです。

 研修会に来月80歳になるという栗坪氏のお母様も来られていました。茨城ダルクの家族会をけん引して来た方で、今は地元で「ナラノン」を開催していらっしゃいます。今回は息子である栗坪氏に「出かけよう」と言われてついてこられたそうです。ナラノンをやっているのは自分がプログラムから離れないため、泣いてナラノンにたどり着く人がいる。その人と一緒にいることがご自身の安心材料だそうです。

 お話の後も、研修会に参加した家族会のメンバーの質問に丁寧に答えてくださいました。

「本人がよくなっても、親が繋がっていることが再発の抑制になる。」と話されていました。

7月22日(土)家族研修会

テーマ『保護観察所における薬物依存のある人の処遇について』

今回は法務省横浜保護観察所の統括保護観察官の太田典子氏をお招きし、一般にはなじみが薄いけれども当事者と私たち家族にとっては関係が深い「更生保護」についてのお話を伺いました。

お話の内容は次のとおりです。

  1.更生保護の役割

更生保護法第1条は「更生保護とは犯罪をした者及び非行のある少年に対し、社会内において適切な処遇を行うことにより、再び犯罪をすることを防ぎ、又はその非行をなくし、これらの者が善良な社会の一員として自立し、改善更生することを助けるとともに、(中略)、犯罪予防の活動の促進を行い、もって、社会を保護し、個人及び公共の福祉を増進することを目的とする。」と規定されています。

国家公務員である保護観察官と民間篤志家である保護司は協働して保護観察業務を担っています。保護観察は遵守事項の義務付けと定期的な面接等を通して、保護観察対象者の生活状況の把握を行っています。実社会のなかで指導監督と補導援護の業務が補完し合うことで効果が生まれます。

住居・家族・仕事先・学校などの生活環境は保護観察対象者の立ち直りに大きな影響を及ぼすため、保護観察官や保護司は犯罪や非行を犯した人が刑務所等に入所しているうちから釈放後の住居や仕事先の調査を行うなどして立ち直りを支える環境を整えています。これは、保護観察所における更生保護が刑事司法の最後の砦、再犯防止のかなめとして、犯罪を犯した人が地域社会に円滑に戻れるよう(更生できるよう)行政や医療などにコーディネートすることがその役割であるということを明確に表しています。

なお、保護観察になじまない精神観察については厚生労働省と緊密にタイアップして縦割り行政の弊害を避ける取り組みが現在すすんでいるとのことで期待したいと思います。

2.保護観察所における処遇の実際

保護観察官及び保護司による指導の内容は、面接による接触確保と行状の把握、遵守事項を守る働き掛け、専門的処遇プログラムの実施です。

保護観察におけるねらいは、悩みや課題を話し合うことのできる関係作りを通じて困ったことを相談して解決するという体験の蓄積、特に保護司との間で自身が他者から大切に思われる経験を通じて自尊感情を持てるようになり感情が揺れ動く場面で踏みとどまる力の体得、問題の解決方法に関する知恵の習得を通じて自身の生きづらさを和らげる必要な支援(治療や自助グループ等)につながる可能性などが挙げられます。

薬物事犯者に対してはグループワークによる「薬物再乱用プログラム」が課せられます。プログラムは執行猶予期間によって相違しますが、コアプログラムとステップアッププログラムで構成されます。

プログラムの後には簡易薬物検査があるため当事者にとっては薬物を使用しないよう心理規制を受ける一方、一定期間使用することなく頑張ったことを確認する手段としての機能を有しています。よって、陽性の場合は当然、法による処分の対象になります。

プログラムにはダルクなどの自助グループのスタッフや医療からは精神保健福祉士なども参加します。特に、ダルクスタッフの同席は薬物依存の経験者かつ回復者として当事者にとっては大きな励みであり目標となり得るため欠かせない存在です。

当事者にはこのような保護観察のねらいを理解し、プログラムに真摯に取り組むことによって一日も早い更生を願いたいものです。

3.   これからの更生保護 ~家族の皆様と共に~

当事者はその犯した罪により処罰を受けて刑務所に収監されたり、執行猶予で保護観察所の指導監督や補導援護を受けます。薬物依存から脱するための体制作りとして地域の専門機関による必要な治療や福祉などの継続的な提供を受けたり、当事者同士の支え合いの機会や薬物依存からの回復に配慮した住居の確保をはかってもらったり、家族の理解と協力の獲得に尽力してもらったりと、諸々のセーフティーネットが用意されます。では、家族はその間どうしたら良いのでしょうか。

実はこのことこそが家族にとって大問題なのです。

「息子がもうすぐ出所するがどうしたら良いでしょうか」

「もうすぐ執行猶予期間が満了になるけれどどうしたら良いでしょう」

こういった不安を抱えて家族会の相談に駆け込む家族が実に多くいるのです。

保護観察所はこのような家族に対しても相談支援を行っています。その内容は引受人会の実施を通じて家族の理解を促進したり、家族からの個別相談にも対応し、保護観察官及び保護司による支援を行ったり、関係機関や家族会へ協力するなどです。

家族はその時が来る前に『大切な人のために家族ができること』をする必要があることを忘れてはならないのです。家族の相談は回復のチャンスを作ります。相談する社会資源は少なくないのです。行政・医療・家族会などの自助グループで依存症を識るセミナーに参加してCRAFTなどの知識を習得し、自身を問題志向から解決志向に切り替えることによって、まずは家族が元気を取り戻すことがとても重要なのです。

私たち家族は当事者の犯罪によって私たち自身も傷付き心折れる経験をしました。しかし、当事者が更生回復の道を辿るのと時を同じくして私たち家族も回復しなければなりません。

保護観察所で日々犯罪を犯した人と接しておられる太田統括保護監察官様はじめ多くの職員の方々及び保護司の皆様の業務に敬意を払うと共に『これからの更生保護~家族の皆様と共に~』というメッセージを感謝の心で受け取りたいと思いました。

6月24日(土)横浜ひまわり家族会 家族研修会

講師:神奈川県立精神医療センター 精神保健福祉士・公認心理士の小林千香子氏
テーマ「家族の対応」

 今回は神奈川県立精神医療センターの精神保健福祉士・公認心理士の小林千香子氏を講師にお招きしました。今回の講演テーマは「家族の対応」です。ひまわり家族会ではおなじみの井上恭子先生もいらしてくださいました。神奈川県立精神医療センターは依存症の専門治療機関です。小林さんは平成27年4月から勤務しており、救急と思春期外来の担当でいらっしゃいます。現在は依存症専門治療も「依存症外来」「思春期ゲーム行動症外来(中高生対象)」「レインボー外来(性的マイノリティ―のある依存症の方対象)」に分かれています。  「依存症外来」は、成人が対象でアルコール・クスリ・ギャンブル・盗み・買い物・性などの診療を行います。「思春期ゲーム行動症外来」は、家族全体の機能に目を向けて親子で共に参加できる専門プログラムがあります。家庭や学校で居場所が見つけられず、ゲームの世界だけが居場所と感じている患者が多くみられます。「レインボー外来」は性的マイノリティで他の病院では受け入れることが難しい場合が多く依存症と性的マイノリティの二重の差別や苦しみがあります。  初診患者に目を向けると、以前はいわゆる「やんちゃな男性」が違法薬物にはまり逮捕されてしまうことが多かったのですが、最近はSNSなどで知りライトな感覚で薬物使用をする「普通の人」が増えてきています。また女性の患者も増えてきています。女性の方が、習慣化が早く併存する精神疾患が多いことも特徴として見えてきます。市販薬など人を介さずに購入できる薬物使用者も多く、より孤独な状況で苦しんでいる状況が浮かびます。  依存症者の家族にはいろいろな困り感があります。本人への否定的感情が渦巻き、怒りや悲しみが大きく依存症に対して否定的な気持ちになります。そして社会の偏見と誤解がさらに苦しめます。依存症という病への理解は、少しずつ進んではいますが、まだまだ「わがまま」や「意志の問題」などと考える人の方が圧倒的に多いのが現実です。「親の育て方」「家族の責任」など非難の的になります。社会からの家族への役割の期待も家族を追い込んでいきます。そして苦しいまま誰にも助けを求められず。孤立していくのです。閉鎖的で不健康な家族に陥っていきます。「依存症の問題さえ何とかなれば・・」  家族は薬物から本人を遠ざけようとしてコントロールしようとしてしまいます。しかし家族自身がコントロールを失って巻き込まれていきます。そして被害者意識「あの子のせいですべてが台無しに」など本人への否定的な感情に支配されていきます。家族は自分たちで何とかしなくてはいけないと過剰な責任感を持って対処しようとします。自己を失って混乱していくのです。  家族の対応を振り返っていくことが大切になります。一人ではわからないことも家族会で仲間ができることによって気づきが生まれます。  「家族のしすぎ」について、わかりやすくまとめて提示してくださいました。 ・一言が多すぎる。 ・先に言いすぎる。 ・正論を言いすぎる ・答えを出しすぎる。 ・欠点が見えすぎる。 ・先回りして考えすぎる。 ・起きていない事を恐れすぎる。 ・事実をきちんと見せてなさすぎる。  みなさんは思い当たることがありますか?ほとんどの家族には耳の痛い内容ではないでしょうか。  依存症の問題はなかなか答えがでません。小さな変化に目を向けいいところを見つけていけると少し楽になります。 家族が健康でいるためには、「依存症を正しく理解すること」「適切な対応を学ぶ」「家族自身が健康を取り戻す」ことです。家族の健康のためには、依存症以外の関心ごとを増やし、かつての楽しみを取り戻す、そして複数の楽しみを増やしていくことです。 渦中にいるとそんな気持ちにはなかなかなれませんが、家族会のメンバーで支えあいながら乗り越えていける日が来ると思います。 講義後は質問にも真摯にお答えいただきました。井上先生も適宜、回答してくださり家族の迷いの糸口を見つける一歩につながるとよいと思います。若い依存症者はパワーがあり家族も振り回されます。どこかで回復につながるタイミングがあるので家族は情報を得ておくと動きやすくなります。日々のやり取りで不安があるなどの場合も、家族会で不安や迷いを口に出すことで糸口が見つかるかもしれません。

5月27日(土) 横浜ひまわり家族会 家族研修会< 家族の回復② >

講師:特定非営利活動法人 群馬ダルク 施設長 福島 ショーン氏

 今回も群馬ダルクから福島ショーン氏をお招きしての研修会でした。「関係を取り戻すコツ」と題してのお話でした。
 ショーン氏のお母さんは、未だに自分のことを子供扱いするのだそうです。今はショーン氏自身のベースがしっかり安定しているから崩れないけれど、会うと怖いと思うこともあるようです。
薬物にどっぷりはまっている時期でもクスリの効果が切れてくると「自分は何をやっているんだろう。」と考えていたそうです。薬物をやっていると、止めたい気持ちと、止められない気持ちを抱えて「ジレンマに陥ります。そのうえ家族からも攻撃されることが多く、つらい気持ちに拍車がかかります。
 そういったときの家族の関係をこじらせないためのコツを紹介してくださいました。
本人にやってはいけないこと
① 上から見る。
これは説教などが当たります。子供扱いしている状況です。
「まだそんなことしてるのか。」「あんた馬鹿じゃないの?」「そんな子、産んだ覚えはない。」などと、言った心当たりのある家族は多いのではないですか?自立を望んでいるはずなのに、子供扱いをしてしまう。そして裁いたり、批判したりする。決めつける。説教、比較などがこれにあたります。
大人として接する、その方が本人は頑張れます。
② この問題はいつか去ると思う。
自分たちが今を我慢すれば終わると思っていませんか?大人になれば治ると思っていませんか?これは進行性の病気です。クスリを使っていなくても進行しています。
③ 強制的にやめさせようとする。
「好きに使って。」と言われた方がまだいいと感じるそうです。親の回復が強いと本人は親を責めにくくなります。親は本人にコントロールされにくい状態になります。逆に弱っていると責められやすくなります。本人の行動を強制しないことが大切です。
④ イネイブリング。
尻ぬぐいをしない。(後始末、解決)を親がしないことです。生活習慣で依存症になっていく場合もあります。本来子どもがとるべき責任を奪ってしまいます。それは大人として生きるスキルを奪うことになります。
⑤ あきらめる。
家族会に来なくなる人も多いですが、唯一の話せる場、気づきの場を失うことになります。子供のことを根性のない子、弱い子と思いがちですが、どん底を何度も経験しても、生きようとしていることを忘れないでほしい。意志は強い、生きる力を持とうとしています。どこで何が変わるかわかりません。「うちの子だけは違う。」と考えないでください。病気の力が強すぎてクスリには負けてしまいますが、少しずつ手放せればいいと考えましょう。戻らないことが大事です。失敗したら、また話してもう一度始めればいいことです。
怖さはあります。それは死や世間などです。

そして、やってほしいこと
① 常に本人の病気のことや自分の共依存のことを勉強し続ける。
家族の病気と言われる依存症。問題のあるメンバーを中心にして合わせて生活をしてしまいます。本人だけが回復しても家族が勉強しないと元に戻ってしまいます。共にいない方がいい場合もあります。自分たちの問題を学ぶことが重要です。再発する病と認識していきましょう。
② おかしいと思ったらおかしいと言うようにする。
問題と感じたらやれることをやる。後で問題にならなかったらそれでよい。自分の勘を信じることです。
③ 手放そう。
距離を置くことは大切です。期待と理想を手放すことが、お互いが楽になれる大きな要因です。親は子に対して期待と理想を大きく持ちがちです。そしてがっかりする。がっかりされた子供はつらいです。コントロールできないものは手放すこと。口論や説教をしても何も変わらないです。
その気持ちを家族会で誰かに伝えましょう。問題は解決しないけれど話すことは手放すことになります。
④ 境界線を引こう。
自分が違和感を感じていながら許すのは、境界線がうまく引けていないということです。薄かったり、なかったり。暴言やお金をせびられても許してしまう。これだけはダメだというものがなく、相手が中心になっています。自分の芯を作りましょう。超えられてもまた線を引きましょう。
⑤ セルフケアを練習してください。
長年、依存症者に集中しているから自分のことを忘れています。意識して自分のケアをするようにしましょう。これまでダメージも大きかったはずなので、自分のために「何があっても○○をする。」と決めて無理にでもやってください。だんだん楽になっていくはずです。
⑥ 褒める。
本人も周りの家族も気にかけることが大切です。

兄弟姉妹のことが質問に上がりました。兄弟もダメージが大きいはずです。本来の家族内の役割を超えて抱えていることも多く、心が傷んでいます。依存症者に目が向いてばかりで愛情を向けられないことも多いです。うつ病になったり依存症になったりするケースもあります。まずは親が回復し元気になって本来の役割を果たせることが大切ではないでしょうか。
距離感を保つのは難しい場合もあります。心の準備も必要ですが慌てないで、できることを少しづつ行い、距離を保っていけると良いですね。

最後にショーン氏は、「希望は持っていてほしい。」とおっしゃっていました。

4月22日(土)横浜ひまわり家族会 家族研修会<依存症本人の回復>

講師:特定非営利活動法人 群馬ダルク 施設長 福島 ショーン氏 & 代表 平山 晶一氏

 ひまわり家族会ではもうお馴染み、群馬ダルクのプーさんとショーンさんのコンビによる研修会が行われました。今回も2回シリーズです。

 まずは1回目の研修の紹介です。

今回は依存症本人の回復プログラムのお話でした。

「自分たちはなぜ再発するのか。」

アメリカのプログラムですが、文化は違えど病気は同じです。アメリカでは家族もプログラムを受けることが義務となっています。容器を正しく知ってもらうことが大切で、クスリが止まればいいというものではないということです。

「リラプス」~再燃~ 

 以前は「スリップ」と表現していましたが、スリップはアクシデントの要素を感じる表現です。リラプスは決してアクシデントではなく、ずれはじめが必ずあります。

①   自分に対し、相手に対し嘘、言い訳が始まる。

 自分に対しても嘘がはじまり、自分に対する嘘はバレない、ごまかせる。自分で嘘を許し始めていく。

 自分で気づいていないわけではないのに、次もやってしまう。

②   感情が乱れること、ストレスを感じる状況が増える。

 嘘をつかないとやっていけない、嘘が自然になる、平気ではないからストレスが増え妄想になっていく。 罪悪感や負の感情が表れ、妄想的に相手を見るようになってしまう。自分に負い目があるから態度や目つきを疑っていく。

クスリを使用する3つの理由

・楽になるため。   ・ご褒美。   ・逃げる。

すぐに、ずっとクスリを使う。人間関係の楽しみを知らずに生きてきている。生きづらさを抱えている。敏感であり、苦境を乗り越えるツールがない。クスリを使うことが結果が速いので楽に思える。一瞬は楽になるが問題は解決していない。

③   いっぱいいっぱいになる。

 ほかの方法を知らない。これまではらりっていて、乗り越えたことがない。相談もできなかった。

④   否認、大丈夫なふりをする。

   自分がいっぱいになっていることを認められない。認めるのが怖い。かっこ悪い。恥と思う。クリーンが長い人のほうが認めにくい。「大丈夫?」と聞かれても、何がおかしいのかわからない。

⑤   助けを求めない。助けを求めなくなる。

 仲間の中でクスリを止める。止め続けていく。いるだけで助けを求めていることに繋がるが、はじめは助けをどう求めるのかわからない。いきなりクスリを止めるのは大変なこと。

ベースには恥の気持ちがある。日本特有の世間体が邪魔をする。家族で解決すべき問題。

⑥   孤立することが増える。

 使っている人は孤立していく。素面なのにそうなっていく。ひとりでいると病気が勝ち始める。病気とふたりでいる状況になってしまう。

⑦   希望をなくす。自分がかわいそうになる。

 いつの間にか孤立し、うまくいかなくなる。周りが見えなくなり自分がかわいそうになる。「あいつのせいで…」など責任を転嫁する。希望がないからクスリを使っていた。使っても楽じゃないのにそのほうがマシに思える。

⑧   ハイリスクな状況に戻る。

 危ない状況になっている。使っていた場所や街に戻る。使いたいわけではないけれど戻ってしまう。昼夜逆転になり誰にも連絡をしなくなる。トリガーからハイリスクへ変化している。感情が乱れ、怒りがわく。

⑨   欲求が出やすくなる。

 悪いことではない。自動回路になっているだけだが、対応できなくなる。ギャンブルや暴力、風俗に行くようになる。

⑩   自暴自棄、投げやり、有力

 使っちゃえという気分になる。有力とは、使えばどうにかなるという発想で一発逆転ができる気がする。

このような段階を踏んでリラプスが起こっていきます。どこかで修正できることもあります。

世間や家族にもこのリラプスについて知ってほしいです。このプロセスは家族にも当てはまります。期待と理想を抱えている以上、お互いにつらいといいます。親はついつい期待と理想を大きくしていきます。世間一般の姿を描き取り戻してほしいと考えてしまいます。依存症者本人は家族が思う大人にはなれないです。

期待と理想を手放すとお互いが楽になれます。生きていればいいと思ってくださいと。

ショーンさんが、「僕たちはママがいなくても生きていけます。危ない道に逸れても、回復の道を歩いても、どちらでも自分で歩いていけるよ。」と、家族に重要なメッセージを送ってくれました。

3月25日(土)横浜ひまわり家族会 家族研修会

講師:一般社団法人 相模原ダルク 理事長 田中 秀泰 氏

 今回の研修会は、相模原ダルクから施設長の田中氏とスタッフの渡邉氏をお招きして行われました。

 田中氏が薬物のことで困っていた15年前は今ほど多くの相談機関がなく、ダルクも6か所以上行ったが回復がうまくいかなかったといいます。現在はインターネットで検索すると依存症関連の書物は100冊以上あがってくるし、回復施設も多く存在しています。この状況は普通ではなく、社会が病んでいるのだと。
近藤氏が作ったダルクは一定期間の規則があり、回復していける人はそれを肯定でき前に進んでいけるけれど、疑問に思ってしまうとプログラムにのっていけないこともあります。
田中氏は横浜ダルクに行ったけれどもその時は合わず、別のところを転々とする状況になります。本人にとってその施設が合う・合わないは当然あることで、「いい」「わるい」は自分の考えに過ぎないことに後から気づくこともあります。転々とせざるをえなかった自身の経験が「いいダルクを創りたい」という思いになり、相模原ダルクを10年前に立ち上げました。田中氏の「いいダルク」への思いは、相模原ダルクのシステムに反映されています。「卒業のあるダルク」を掲げ、プログラムを立てています。入所したころは慣れることに重点を置き、そのあとは役割を負って人のサポートをするなど、社会性を育てることにも視点を置き、ダルク後を見据えてシステムを構築しています。ダルクは「クスリ」を止めるだけのものではなく社会に出るためのステップにしたいという思いがあります。
 薬物事犯防止の役割も3段階に分けて組まれています。第1次予防は一般の人向けの啓発活動。第2次予防は、依存症になる手前の人を対象に相談事業を行っています。本人の背景を探りながら本人に合った方法を見つけていくことに力を注ぎます。第3次予防は入寮事業です。完全入寮で回復を目指します。
 依存症の場合、本人だけが病気ではなく、取り巻く家族も病んでいます。それには家族自身も気づくことが難しいことが多いです。本人と家族や周りの社会を分けて考え治療していくことが重要になります。
 「人が変わるのには時間がかかる」ダルクを出たらスリップしてしまい、ほかのダルクに行くことを繰り返すのはよくあることで、田中氏も同じように繰り返しダルクを出たり入ったりしていました。沖縄の回復施設で出会ったポール氏の「12のステップ」に心を奪われ半年で学びました。ポール氏のステップに取り組むことと卒業のあるダルクを創りたいという思いを実現していきます。
 相模原ダルクでは、長期の離脱症状を克服することを重要視しています。これを知らずに勘違いをすると間違った治療に繋がってしまいます。わかっている人と繋がって回復を進めていくことが大切です。
 また、回復の文化についても話されました。相模原ダルクでは卒業式を行っています。仲間が考える卒業とは何か?元の世界に戻ることではなく、依存症の中で観に着けた文化を徹底的に見直し、そのすべてが変わったかを点検するそうです。クリーンタイムだけが卒業の基準ではないことを明言されていました。
 依存症に巻き込まれて苦しんだ家族はどうすればよいのか。親として自責の念に苦しむ人は多いです。しかし、火事を目の前にして、火事の原因を考える人はいないように、まずは薬物を止めることに力を注ぎます。原因探しはそのあとです。家族と協力していくことの意味は大きく、「家族の治療を受けてほしいという思いがプレッシャーになって治療を開始した。」「関わりの深い家族は行動に影響を与えることができる。」「プログラムでは家族をきわめて重要な協力者と考える。」「家族もまた助けを必要としている。」ことです。
 家族が必死になって回復への道を作ろうとしてもうまくいかないこともあります。ただし、「そうであっても家族は自分の人生をより幸せなものにすることができる。」ことを心に刻んでおきましょう。家族がやるべきことや、共依存、回復など多岐にわたるお話でした。
まずは洞穴に入ってしまった本人が穴から手を出すのを待つこと、そこから回復の道が始まります。

同じく相模原ダルクのスタッフの渡邊氏の体験談。
 「12年前は洞穴にいました。」という渡邊氏。13歳からクスリを使っていたとのことです。当時中学生で、特に不安もなく困った生活でもなかったといいます。仲間からの誘いを断れなかった、友人関係が崩れるというプレッシャーがあったそうです。クスリを使って楽しむ文化に身を置いていて、彼女も巻き込んでしまった、止めるきっかけはあったのに、止めなかった。問題があってもクスリに逃げて乗り越える生活をしていたとのことです。大学進学を機に環境をかえ一人暮らしを始め、しばらくはクスリを使わずに生活ができたけれど、また使う環境になっていきました。依存症であることに自覚はなく、生き方が変わったわけでもなく、使う生活になり悪循環になっていきます。ずっと前から自分の生き方には問題があったのに、気づかずに過ごしていたと後になってからわかったそうです。
 22歳で親に知られることになり介入されます。親に連れられて千葉ダルクに行きましたが、「自分は違う。」と馴染めず出てしまいます。しかし自分ではどうにもならなくなり、ダルクへと気持ちが向き始めました。
3年後、両親との関係を再構築し始めたときに、「なぜあの時、あの行動をとったのか?」と尋ねたそうです。両親が回復の支えになっていたこと、家族会に行ってくれたことに今は感謝していると明るい表情で話されていました。

1月28日(土)横浜ひまわり家族会 家族研修会

講師:一般社団法人「カハナ」所長 高橋 仁氏と、NPO法人アパリ 理事 高橋 洋平弁護士

 今回の研修会は、一般社団法人「カハナ」の所長 高橋 仁氏と、NPO法人アパリ理事の高橋 洋平弁護士のおふたかたをお招きして行われました。
 まずは、「カハナ」の所長である高橋 仁氏の体験談でした。
仁氏は中学時代からシンナーを使い、15~16歳で覚せい剤を使い始めたそうです。幼少期から教育に厳しい家庭で、そのころの記憶といえばたたかれることが多く、「なぜ俺ばかり?」と思ってきたこと、謝れずにいたことを思い出すとのこと。父との関わりは薄くあまり話さない父がどういう人なのかわからなかったとも。何をしても「ダメ」と言われるばかりで、そのうち自分のことを話さなくなっていったそうです。自分がやった悪いことを認めず、親に怒られると、ばれないようにしていく。幼少期から身についたことは、大人になってもあまり変わらなかったそうです。中学時代は先輩とたばこやシンナーを使い、マイナスの情報もなかったため楽しく使っていたとのことです。高校は「とにかく卒業したほうがよい」と言われ通ったが、そこで「夜回り先生」の水谷修氏に出会ったそうです。水谷氏だけは寄り添ってくれましたが、1年生の途中で退学してシンナーを使う生活にはまり込んでいきます。シンナーを止めたのは、覚醒剤を使ったから。「シャブをやったらおしまいだ。」と思っていたけど、スパーンと抜ける感じがたまらなく、においもしないしばれないと思ったそうです。楽しむために使っていた覚せい剤がいつの間にか「生きるため」の物に変わっていき、止められなくなっていきます。「最後の一回」を何度も打っては後悔する日々。母にはダルクや病院・警察のなかからどこかに行くように迫られたりもしていました。そんな中、周りを黙らせたくて一か月の入院をしました。その時も自分ではなく「医者が何とかしてくれる」「退院したら欲求がなくなるんだろ?」と問題に向き合おうとはしなかったと。そんな時、メッセージ活動で出会った「ダルク」の印象が強烈だったといいます。「ハグ?」「宗教?」これは何なんだ。母に食って掛かっても言い合いにもならず、外堀が埋められていく感じがしたそうです。入院時に知り合った人が横浜ダルクにいたので相談に行ってみたらNAを勧められ、参加したものの自分のことを話すのに慣れておらず、一回のみの参加になりました。母が持ってきた現藤岡ダルクのパンフレットを見て入ることになりましたが、半年は慣れず飛び出しては薬物を使ってしまっていたとのこと。しかしだんだんと仲間の話が自然に自分の中に入るようになって考え方が変わっていったといいます。クリーン1年目が一番正直に生きていたように思うそうです。
 母が自分の薬物問題で苦しんでいたことは、幼少期の恨みもあり、「ざまあみろ」と思う時期もあったけど、今になって母の気持ちがわかることもある。母は現在、自分自身の生き方のために家族会で勉強をしていると話されていました。21年間、薬物を止められているのは仲間がいて居場所があって寂しくないからだとのこと。
近藤氏が生前に作ってくれたいろいろなものが繋がって今があると感慨深く話されていました。

 研修会の後半は、高橋弁護士のお話です。


「新しい弁護活動~更生と回復を目指して」というテーマでした。高橋弁護士は、弁護士になりたての頃奥田弁護士と出会い、薬物事犯に関わるようになりました。そしてダルクとのつながりが始まり、今はアパリの理事をされています。自分が弁護した人がダルクに入寮していると次に弁護した人もダルクにつなげやすいというメリットがあり、なにより回復していく姿を見ていけるのがやりがいに繋がっているといいます。ダルク後の関わりをつなげていけるネットワークが機能していくと、もっと生きやすい社会になるのではないかと考えているそうです。いろいろなダルクを見る機会が多い高橋弁護士ですが、回復の道のりの難しさは感じざるをえないとも。家族は薬物依存症の本人を何とかしようと必死になりますが、正解がなんなのかわからないときもあります。回復や治療の情報はインターネットでも収集できますが、それではやはり限界があります。相談先はあっても弁護士事務所には生きにくさがあります。だから依存症家族会に出向いて知ってもらうことを大切に考えて活動をされています。
 違法薬物事犯での逮捕から、どう本人の人生を考えていくのかが弁護のカギとなると考えているそうです。
「私はやっていない」と主張する場合、その後の人生で社会人として生活できるのか。その時だけは確かに薬物を使用していないかもしれない、しかし本当はずっと使用している。無罪を勝ち取ることがリハビリを受けなくてよい理由になってしまい、チャンスを逃さないか。本人が新しい生き方を学び自立していけるのか。借金など抱えている問題を自分で解決できるようになるまで長期の人生プランを立てていくことが必要だとのこと。裁判では家族の役割も重要な位置づけにあります。前科がつくことを嫌がる家族が多いですが、本人が目指すべき姿を共に考えていけるようにしていくそうです。
 出会いで人は変わっていけます。弁護士として本人の回復プランを立てていきますが、弁護士だけで何かを変えることは難しいですが、変えていくきっかけを作ることは可能だと、日々の弁護に尽力されています。最近はダルクの入寮を説得することはせず、「楽しそう。すごい。」と思ってもらえればよいと考え、ダルクの魅力を伝えていけるようにしているそうです。
 薬物事件で逮捕されていなくても、本人が抱える法的問題を中心に回復支援をサポートしてくださいます。
まずは相談ですね。

2022年7月23日(土)家族研修会

講師:横浜保護観察所 統括保護観察 石川 美緒 氏

「保護観察における薬物事犯者への処遇について」と題した研修会を行いました。

まず更生保護の役割として、「社会において適切な処遇を行うことにより社会内で再犯を防いで支えていくというものがあります。刑事司法における再犯防止の要であり、収監中から出所後の生活の環境を整えること、生活環境の調整などが柱となります。社会復帰を促し、再犯防止につなげることが大きな目的となります。保護観察は、犯罪や非行を犯した人が更生するよう、実社会の中で指導監督や歩道援護等を行う仕組みです。定期的な面接等を通して生活状況の把握を行います。

 薬物事犯の状況としては、全体は減少傾向にはあるものの40歳代の覚醒剤取締法違反は増加傾向にあります。大麻においては10代の逮捕者もおり、平成26年を境に若い世代への広がりが見られます。
保護観察官及び保護司による指導として
①   面接による接触確保と行状の把握 
②   保護観察を行っていくうえでの約束事(遵守事項)を守るようにと働きかけること 
③   専門的処遇プログラムの実施
があります。専門的処遇プログラムは令和4年4月の少年法改正により、18歳以上の保護観察対象者にも実施可能になりました。

 保護観察を通じて得てほしいものは、悩みや課題を話し合うことのできる関係作りです。薬物事犯の人は一人で解決しようとする人が多く、友達や家族にうまく相談ができない傾向が強いです。新庄茶往査をするとネグレクトなどの虐待やいじめの経験があることが多いです。心に大きな傷を抱えています。困ったことを相談して解決するという体験の蓄積が今後の生活に必要なスキルになります。そして、大切に思われる経験。自尊感情が持てるようになること。感情が揺れ動いたときに踏みとどまる力の体得、つまり逃げずに解決する力をつけることです。問題の解決方法に関する知恵の習得も大切になります。必要な支援(治療や自助グループ等)に繋がり生きづらさがやわらぐことも大いにあります。

 薬物再乱用防止プログラムを収監中から受講し、社会に出てからも保護観察中に実施し、その後も何かの形で治療プログラムにつながることを目的に実施しています。プログラムは、自分の内面に気づき薬物使用の引き金になることや、孤独な状況を避けるなどを考えていきます。実現可能で自分に合った対処法を学んでいきます。
 地域の関係機関や団体と連携し、切れ目のない息の長い処遇ができることが理想です。薬物依存から脱するための体制を作っていくことが重要課題となっています。家族等への相談支援にも目を向けているところです。
 研修後は家族の質問にも真摯に答えてくださいました。

2022年4月23日(土)研修会

講師:群馬ダルク 施設長 福島 ショーン 氏・代表 平山 晶一 氏

「家族のプログラム」

 今回は会の初めに、日本ダルク代表の近藤恒夫氏の逝去に対し黙とうをしました。近藤さんが存在してくださったからこそ、ダルクがあり回復があったのだと心から感謝しています。ご冥福をお祈りいたします。

 今回は、群馬ダルクの福島ショーン氏と平山晶一氏をお招きして、「家族のプログラム」の研修会でした。お二人は、アメリカ・ハワイでの勉強会に参加し、日本全国を飛び回って家族の回復プログラムの紹介をしています。アメリカは日本に比べて薬物依存症になってしまう人がはるかに多いです。そして、薬物依存に関する知識もはるかに多いといいます。
 近藤氏との出会いは30年以上前で、その出会いがなければ今の自分はいないと話されます。今、生きていることが奇跡なのだと。近藤氏がいたからこそ、回復できることや回復の場があったと。
 ショーン氏はダルクに入寮してからも問題をよく起こし、刑務所にも入ったとのことです。ショーン氏の母は姿を消したといいます。そんな母と今は仲がよくなったといいます。
 平山氏は、16歳からクスリにはまったとのこと。特別でなければいけないという考えに支配され、居場所がなかったといいます。居場所を求めていたはずの場所で、クスリから抜けられず居場所を失っていったとのことでした。

家族が薬物依存症当事者のために何ができるのか?
今日はそんな内容の研修会でした。

①本人が大きな病気になったときと同じように接してください。

依存症はWHOが認めたれっきとした病気です。治療・ケアを続ける必要があります。しかし周りの人がなかなか病気と認められないのはどうしてでしょうか?それは検査しても数値で現れるものではないからです。家族も否認して「うちの子に限って」と心にふたをしてしまいます。

②常に本人と自分の依存症・病気・回復の勉強をしてください。

家族会にたどり着いたときは、本人のことで頭がいっぱいです。自分のことを知り、自分の回復を考えることが大切です。困ったときだけ家族会に来て、困らなくなると家族会に足を運ばなくなります。家族会で常に勉強して、病気と闘う練習が大切です。

③本人に昔話・説教をしないでください。他者と比較しないでください。

「昔はかわいかった。」悪気なく言う言葉が、劣等感を持っている本人には、今の自分を認めてもらえないと感じます。
説教をしても仕方ない、昔には戻りません。説教は思い通りにしたいというコントロールになります。世間やふつうはなどと比較することは、片方のいいところともう片方の悪いところを比べています。傷つける言動が、クスリを使う理由になります。期待と理想を持った家族の思いには届かないと思っています。本人の「今」を認めることで、自尊心や自信があがり、そうなるとクスリは必要でなくなります。

④きっかけを与えないでください。

クスリを使うことは、本人がやることですが、何かのせいにしたいと思っています。説教や、本人の前で飲酒することは避けてください。常にリスクがあります。口論するくらいなら黙って離れたほうが良いです。
家族の一番の責任は、本人を自立させることです。大人に育てることです。

⑤本人が同居しているなら、自分の時間を作ってあげてください。

問題があるにしろ、コントロールしないようにしましょう。ルールがあってもよいですが、監視をすると息が詰まります。親が弱っていると巻き込みやすくなります。親が元気なら巻き込めません。共依存の治療が大切です。

⑥昔のことがあったから今があります。過去に戻るのではなく、今からの人生を作りましょう。

「昔に戻ったみたいでうれしい。」などと喜ばないようにしてください。本人にとってはクスリを使い前でも昔は苦しかったのです。家族は手のひらにのった子どもに戻ってほしいだけです。戻ったらもっと状況は悪くなります。
共依存は代々学んでいく病気です。依存症の問題が起こらなければ普通の家族です。

⑦本人の遊ぶ時間、自分の遊ぶ時間を持つ。

共依存とは、自分を犠牲にして相手をコントロールしたいという悪循環に入り込みます。親が元気になること、親が自分を大切にすることで本人の回復につながっていきます。笑っているほうが本人も絡みにくいと感じます。家族会は自分たちの勉強の場です。家族会に出ることで本人への影響もあります。

⑧イネイブリングしないでください。

「イネイブリング」とは、本人のクスリを使う手伝いをすることです。やめてほしいと思っているのに、本人のためによかれと思ってしたことが、クスリを使う環境を作っています。家族が困っていることを伝えてください。黙っていると本人には都合がよくなります。親がいなくなっても生きていけるように、責任を持たせることが大切です。親は罪悪感を抱えてしまいますが、小さいことから始めてください。

⑨本人に責任を持たせることが本人の変わるチャンスになります。

家族も過去に生きず、前を向いてください。本人を苦しませたくないと家族は思ってしまいますが、本来、責任を取ることは苦しいことです。

⑩クリーンがあってもきちんと境界線を作りましょう。

しかし、罰としての境界線は作らないでください。問題が遠のくと境界線はぼやけます。大変な時は境界線が引けますが、家族はアッという間にもとに戻ります。自分だけで判断しないようにしましょう。お互い納得できない境界線は罰と感じます。

⑪経済的なサポートをしない。

治療に当たるもの以外は、お金のやり取りはしないでいましょう。

⑫本人の病気の恐ろしさを忘れないでください。

最悪だった時のことを記憶に残しておきましょう。おびえる必要はありませんが、あそこに戻らないように家族会に継続して参加してください。

家族が直接できることはありませんが、間接的に回復に向かうようにはできます。

いつものように軽快なお話で、大切な12項目を聴かせていただきました。あの時点には戻りたくないと、苦しんできた家族なら誰しも思うことですね。仲間とともに、語り合いながら回復の道を進んでいきたいと切に願った研修会でした。

2021年6月26日(土)家族研修会


講師:沖縄ダルク 施設長 森 廣樹氏


 今回の研修会は、沖縄ダルクの施設長、森 廣樹氏と、ゲストスピーカーに沖縄ダルクで回復の道をたどったきんたろうさんの体験談を伺いました。
 
 きんたろうさんは、4年目のバースデーを迎えたということでした。回復の道のりはたやすいものではなかったようです。元いたダルクでは、近隣からの反感が強く雨戸も明けられない生活だったと振り返っておられました。布団を干してもたたけないなど、閉塞感が強くそれがつらくて沖縄ダルクに移ったそうです。開放的な環境でエイサーを通じて外部とのつながりも持てたことがうれしかったと話されていました。
 薬物との関わりは、15歳からで、シンナーやガスなど好奇心から使っていたとのこと。覚せい剤には苦しめられ、親兄弟のお金を使いこみ借金はお母さんが払ってくれたといいます。申し訳ない気持ちと、ラッキーと思う気持ちを持っていたそうです。覚せい剤は本当にボロボロになるまで使ったとのこと。
ダルクへの入寮や生活保護を受けることには抵抗があったけれど、仲間がいたことで救われた、優しくしてくれる仲間に出会い、自分も受け入れることができたそうです。依存症という病気を通して見方が変わってきたと話されていました。

 森さんは、薬物使用18年、クリーン15年になったそうです。中学生のときからシンナーやたばこを始め、覚せい剤は17歳の時から使用。はじめは覚せい剤を使っている仲間を馬鹿にしていたそうですが、3回目に誘われたときに使い、その時の感覚はまだ覚えているといいます。幼少期から父のアルコール、両親のけんかなどで心に穴が空いていて痛みを抱えていたということです。父との関係をうまく築けず、父の無関心にますます不良行為がエスカレートしていったそうです。覚せい剤を使うことでヒーローになった感覚、心の空白が埋まったように感じていたと話されました。20歳過ぎに結婚し息子さんが生まれ、父に顔を見せに行ったとき初めて父と晩酌をしてうれしかったこと、その2か月後に飛行機事故で父が亡くなり、また空白を抱えたまま生きていったそうです。アメリカに渡り、語学留学をしながらビジネスを始めたけれど、本来の自分を探したくてまた薬を使う生活になっていったといいます。日本に帰国してもこう見せたいと思う自分と、本来の自分が合わなくて頑張るために薬を使い続け、逮捕されました。母は家族会で勉強しており、生き方を選ぶのはあなただと言われたそうです。茨城ダルクの岩井氏と出会い、光が見えてきたと感じたそうです。沖縄の厳しいダルクでも仲間がいることに安心し、モデルになる人にも出会うことができたと。欲求も減りありのままの自分を受け入れることができるようになってきたそうです。
 沖縄ダルクの紹介も丁寧にされました。沖縄ダルクは7番目にでき、27年経っています。以前は地域の依存症者を入寮させることはなかったそうですが、今は地域で回復することを目指しているそうです。利用者さんも多種多様で、支援の仕方も多岐にわたっています。弁護士も依存症や回復の仕方を勉強しているということです。沖縄ダルクはたった一か所のLGBTQの利用者を受け入れています。LGBTQの人たちは依存症に加えて性的マイノリティであるため2重3重に居場所がないことが多く、居場所を作りたかったとのことです。見捨てないことを信念にして日々活動しています。
ダルクを運営していることは、回復に向かう瞬間、人が変わる瞬間に立ち会えることが醍醐味だそうです。安心できる仲間の中で安全に失敗しても許される場所で「生きる」ことを支援していきたいと話されていました。

沖縄ダルクでは宮古島に学校を作りたいと動いています。日本ダルク代表近藤さんの強い願いを実現すべく精力的に活動を進めています。
力強いお話で聞いていて元気が出ました。